赤道直下の氷河で見つかった新しい生態系。

赤道直下の熱帯にも、氷河を頂く山々があります。標高5,895メートルのキリマンジャロ山(タンザニア)、5,199メートルのケニア山(ケニア)、そしてウガンダとコンゴ民主共和国の国境に位置する標高5109メートルのルウェンゾリ山です。ルウェンゾリ山では1906年、初めての氷河観測が行われ、山頂付近で6.5キロメートル平方の氷河が確認されました。しかしこの約100年の間に氷河は減り続け、2020年には消滅するだろうとの予測も発表されています。この消滅の危機に瀕する山頂の氷河で、コケ無性芽の集合体を発見し、その成果を2014年11月にプレスリリース発表した植竹 淳特任研究員(新領域融合研究センター/国立極地研究所)。今回は、その最先端の観測と成果を紹介します。

氷河上一面に広がる小さな黒いコケの塊

ルウェンゾリ山は、アフリカの他の2山と比べて降水量が多く植生がとても豊かです。頂上までは徒歩で約5日の行程で、はじめは熱帯特有のジャングルだった植生が、登るにつれてコケと地衣類に覆われた雲霧林、アフリカの高山にしか生えない奇妙な形をした植物へと変化していきます。標高が4,500メートルを超えると、次第に植生がまばらな岩場になり、ついにスタンレープラトーと呼ばれる氷河が見えてきます。この氷河は長さ1キロメートル足らずで、氷河としてはかなり小さいものですが、この山地では最大の規模です。実際に訪れてみると、氷河の上にはこれまでに見たこともない厚さ1センチメートルほどの真っ黒な塊が一面に広がっており、その異様さに圧倒されました。手にとってみると、これらが繊維状の細胞が絡み合っている構造であることがわかり、日本に持ち帰って詳しく調べることになったのです。当初は顕微鏡で見たかたちが微生物のような単細胞であることから、マリモのような緑藻かと考えていました。しかし遺伝子解析の結果、これらが実はコケであることがわかりました。微生物かと思っていた細胞は、コケのライフサイクルの一部である『無性芽(gemmae)』と呼ばれるステージにあたることから、この塊を「氷河コケ無性芽集合体(glacial moss gemmae aggregation: GMGA)」と名付けることになりました。しかし……ちょうどチキンナゲットのような形なので、個人的には「氷河ナゲット」と呼んでいます。(笑)

プレスリリース2014年11月

氷河上の生態系が緑の大地を準備する。

氷河ナゲットは、コケが光合成をして有機物を作り、それを内部でいろいろな物質に変換したり、分解したりする微生物が共生する「集合体」で、氷河ナゲットのひとつひとつで一つの生態系が完結しているといえます。また氷河ナゲットは、微生物が作り出す腐植などの物質により真っ黒い色をしています。黒い色は光をよく吸収するため、コケが繁殖すればするほど氷河の氷は溶けていきます。観測の結果、氷河は年間約2〜3メートルずつ後退していることがわかりました。今まで氷河に覆われていた岩の上には、たくさんの氷河ナゲットが取り残されて乾燥しており、その状態のまま数年を経た場所では、氷河ナゲットだったものの上に他の種類のコケや草などが生えていました。つまり氷河の上で、氷河ナゲットによって高山の土壌の元になるような物質が作られていたことになります。このような氷河と氷河後退域の生態系について、ルウェンゾリ山だけでなく、北極域でも検証を進めはじめているところです。

南極「コケ坊主」の場合

グリーンランドの海岸線を観測する。

北極圏にあるグリーンランドを衛星写真で見ると、その表面の多くが氷に覆われていることがわかります。この大きな氷床と陸地の境界線を実際に訪れてみると、氷河ナゲットよりもさらに細かい、直径約1ミリメートルの黒い粒に覆われていることがわかります。これらは「クリオコナイト粒」と呼ばれるもので、極限環境でも多く見られるシアノバクテリアという微生物が絡まってできています。ここでも冷たいところを好む“黒い”生物の集合体が、氷河の溶解を促進しているのです。しかもこのような場所は、現在グリーンランド氷床の端で年々広がっており、その面積の大きさから溶けた水による海面上昇などへの影響も懸念されています。

大気の中に含まれる微生物をチェックする。

ルウェンゾリ山でも、グリーンランドでも、氷河上の生態系を理解するだけでなく、そこに何が出入りしているのかを調べることも、今後重要なポイントになると考えています。その謎をとくひとつのキーワードが風による微生物の移動です。人や動物が運ぶのと違って、風は面的かつ長距離に物質を運ぶことができるため、生態系に関する影響がとても大きいことが予想されます。そこで大気を採取して、その中にどのような微生物がどのくらいいるのか、遺伝子解析によって解明していく準備を進めています。この観測は極地だけでなく、東京などの都市部でもまだ行われていないため、まずは研究所の屋上に機器を設置して、テストを行っているところです。

「消滅する恐れのある高山の氷河の重要性については、いろんな見方があります。例えば生物多様性の側面からは、今のうちに氷河の上に住む微生物のアーカイブを作っておくべきです。生態系があるということは、私たちの生活に役に立つものを作ってくれる生物がいるかもしれないことを示していて、それらは氷河を持つ国の資源ともなりえます。また乾燥している地域(中国の乾燥地、ボリビア、チリ)では、生活・工業用水を氷河の雪解け水に頼っているため、水源として真剣に調査が進められています。」(遺伝子解析室にて)

(文:植竹 淳・池谷瑠絵 写真:北岡稔章 公開日:2015/09/10)