どんなしくみで「種」が分かれるのだろう。

雄のロバと雌のウマの掛け合わせである「ラバ」は、繁殖力を持たないために子孫を残すことはできません。このように2つの種を掛け合わせた時に、生殖や生存に障害が起こる現象を「生殖隔離」といい、長い間、生物学者の関心を集めてきました。どんなしくみで「種」が成立するのか……このような難問に挑むには、系の純度が高く、精密な遺伝解析と遺伝子操作が行える「近交系」というバイオリソースの存在が欠かせません。国立遺伝学研究所ではさまざまな実験用「モデル動物」の系統維持を行っていますが、なかでも近交系間で染色体を交換した「コンソミック系統」というマウスを用いて、2014年4月、「生殖隔離」という積年の謎に光を当てる研究成果が生まれました。「遺伝機能(生命)システム」プロジェクトから、岡彩子特任研究員(新領域融合研究センター)の研究をご紹介します。

まずマウス系統の世界分布を俯瞰する

パンダのような柄をした写真のネズミは「JF1(ジャパニーズファンシーマウスの略)」といって、デンマークのペットショップで見つかった個体を起源とする系統です。しかし、そもそもは日本で育てられていたもので、江戸時代には趣味人の愛玩用として『珍翫鼠育草』という書物に記録が残されており、幕末にヨーロッパに伝えられました。現在、世界に分布するマウス亜種には、アフリカからアメリカや西ヨーロッパへ渡った「ドメスティカス」、ユーラシア大陸から東ヨーロッパにかけての広い範囲に分布する「ムスクルス」という大きく2つの亜種があります。この2つの亜種は、今から50〜100万年ほど前に共通の祖先から生まれ、長い間に突然変異を蓄積して、数千年前にドイツからギリシア東端へ円弧を描くラインで出会ったといいます。これを「ハイブリットゾーン」といい、この領域では、遺伝的にかけ離れてしまった2つの亜種が生殖隔離を起こすことが知られています。ではそれらのゲノムを比べたら、いったい何が起こっているのでしょうか?

データが語る”豆ぶち鼠”の大いなる帰還。

「ドブジャンスキー・ミュラー」モデルとは?

この問題に答えるのが、有名な「ドブジャンスキー・ミュラー(Dobzhansky-Muller)モデル」です。仮に「AABB」という遺伝子を持つ共通祖先から分化した集団Aに、新しい遺伝子型「a」が出現して「aaBB」が定着し、一方、集団Bには「AAbb」が定着したとします。その後集団AとBが出会い、遺伝子型abが不適合である場合に生殖隔離が起こるのだ……というわけです。これを説明するには、おそらくAABBという遺伝子によってつくられるタンパク質が原因だろうと考えられ、これまでさまざまな研究が行われてきました。しかしながら哺乳類で種分化を説明する遺伝子は、実はまだほとんど見つかっていません。マウスでは2009年に一例だけ、Prdm9という原因遺伝子が報告されましたが、その具体的な分子メカニズムは解明されていません。私自身もずっと原因遺伝子を探す仕事をしてきたのですが、遺伝子を限定していけばいくほど、生殖隔離という現象が消えてしまう。原因遺伝子が存在するという前提自体が間違っているのかもしれないという疑問から、現在の研究に至ったんです。

実験室で生殖隔離を精密に再現する

ハイブリッドゾーンで起きているような現象は、実験室の中で再現することができます。現在、実験で最も標準的なB6系統は、詳しく言うと9割がヨーロッパ、1割が日本由来という遺伝的な背景を持っていますが、ドメスティカスとして取り扱うことが可能です。このB6系統に、ムスクルスと遺伝的に近い「モロシヌス」亜種にあたるMSM系統のX染色体を導入した「コンソミック系統」を調べると、精子形成が異常になることが既に確かめられています。このような異常は、マウス亜種が持っている19対の常染色体や性染色体のY染色体を導入したコンソミック系統では起こりませんでした。そしてX染色体コンソミック系統の精巣の遺伝子の発現を調べたところ、X染色体の遺伝子の15%に発現低下、5%に発現増加が起こり、とてもばらついていたんですね。そこで私たちは、遺伝子の近くにあって発現量をコントロールするシス制御因子に注目してさらに統計解析を行い、発現低下は<X染色体上にあるMSM系統のシス制御配列>と<常染色体上にあるB6系統の転写調節因子>の遺伝的不適合が原因であり、また発現低下していた遺伝子の多くが生殖に関わる「生殖幹細胞」で機能していることを突き止めました。常に厳しい生存競争にさらされている生物は、生殖関連遺伝子の進化が速いと考えられています。今回の発見は、そのような遺伝子発現をさかのぼって、その起点となる転写調節因子が速く進化したことにより、分化の途中にある亜種間に起こる生殖隔離を説明し得たことに意味があると言えるでしょう。

人間の目だけでなく統計解析で現象を確認する

振り返ると、発現データの分布をグラフで見たときに、もしかしたらこのゆらぎが生殖隔離の根本原因なのではないか、つまり生殖隔離の原因は、これまで想定されてきたような特定のタンパク分子の亜種間差とは別のところにあるのではないかと直感したんですね。というのも、人間の目で見ても明らかにX染色体のばらつきは幅広いわけです。では、このばらつきは単に確率的なものではなく、「有意差」といわれる統計的に意味のある違いなのか? そこで、「遺伝機能(生命)システム」プロジェクトの一貫として統計数理研究所の藤澤洋徳先生との共同研究で、この問題を解決していただきました。今回提案したモデルは、統計学的にも難しいと言われる藤澤先生の「分散の有意差検定」が大きな根拠の一つとなっています。私たちは現在、さらに大規模なRNA-seqによる発現データを蓄積しており、今後は国立極地研究所の近藤伸二先生(新領域融合研究センター)との共同研究で、このデータから、いっそう詳細な生殖隔離の分子メカニズムを解明していく予定です。

飼育による系統維持の一方で、冷凍保存によってマウス亜種の多系統を維持する、国立遺伝学研究所の一室。人工授精による発生初期の胚細胞を冷凍保存し、使うときは保存された胚を融解してマウスの子宮に移植する。2つの亜種の正式名は「ムス・ムスクルス・ムスクルス」と「ムス・ムスクルス・ドメスティカス」。

(文:岡 彩子・池谷瑠絵 写真:水谷充 公開日:2014/07/10)