南極に積もる雪から、太古の生命と環境を削り出す。

「氷床コア」と呼ばれる稀少な氷柱を削り出す場所は、標高3,810m、年間平均気温マイナス54℃という南極ドームふじ基地。すべての水が凍り、液体の水が存在しないため、その氷上には生命活動がないといいます。人だけでなく多くの生命にとってもサバイバルが厳しい極地の環境下では、生物の多様性が極端に少ないこと、ウィルスがいないので風邪をひかないこと……等々、ふつうの生活からは想像できないさまざまな特色があります。そして降り積もる雪の下に封じ込められた氷は、なんと70万年から現在に至る私たちの地球環境や生命を、今、いきいきと語り始めているのだそうです。お話は、プロジェクトリーダーの本山秀明教授(国立極地研究所)です。

氷床コアとコケ坊主、ふたつのターゲット

われわれのプロジェクトには、大きく氷床コアとコケ坊主という2つの対象があります。極地研が標本を獲得し、極地研や遺伝研の研究者が遺伝子情報を導出し、その解析に統数研・情報研の研究者にも参加してもらうというバランスのいい融合研究を、10年近く推進してきました。そのうち、私自身は雪や氷を専門に研究しています。雪はどんどん降り積もりますから、上の方が新しい雪で下の方が古い雪ですね。南極の大陸を覆っているたいへん大きな氷の塊を「南極氷床」といいますが、この氷床をわれわれはずっと3,000m下まで掘って、70万年前にあたる氷を掘削・採取しています。この氷から過去の地球の気温や、二酸化炭素・メタンといった大気の成分などが分かります。たとえば過去70〜80万年前から地球は寒い時代が7〜8万年、暖かい時代が1〜3万年という10万年周期で大きな気候変動をしており、今よりも地球平均で5〜6℃低く、極地ではさらに寒かったことなどが分かっています。大きな気候変動は、海底の堆積物からも知ることができますが、時間あたりの堆積量が少ないため、雪がたくさん降る南極のほうがはるかに時間分解能が高く、年代を詳細に特定できる優位性があります。また過去の大気がそのまま残っている点も、氷河や氷床ならではの貴重なデータなんですね。

氷床コアのなかの太古の微生物を解析する

氷床コアの分析は地球の気候や環境の復元だけでなく、その中に非常に微量の微生物が含まれており、氷床コアの中の大きな気候変動とともに、生物がどう対応し、どう進化し、またその遺伝子がどうなっているか、といったことが突き止められる可能性があります。しかしながら氷上に生命活動がないため、微生物が予想以上に少なく、解析が非常に困難であることがわかってきました。ところが、実は氷の塊である南極氷床も、地球内部から伝わる地熱によって氷が融けているところが多くあります。われわれの採掘では岩盤直下まで到達していて、深部は雪や氷の重みによる圧力で融点が下がり、マイナス2℃の3,000m下には水脈のようなものがあるんです。そこで今、採掘してきたその水に集中して、解析作業を進めています。

世界で一番難しいゲノムのサンプル!?

この分析は、瀬川高弘 融合プロジェクト研究員(新領域融合研究センター、写真中央)がサンプルからゲノム情報を取り出し、近藤伸二 特任准教授(国立極地研究所・新領域融合研究センター、写真右)が情報解析するというチームワークで進めています。たとえば光合成をするシアノバクテリアという生物の断片が見つかると、現在地上にある似通った種の遺伝子配列と比較します。すると一致する度合いが低い、つまり未知のものが多く含まれているんですね。一方、難しい点は、まずサンプル数が非常に少ない上に、年代が古いためDNAがちぎれていて、なかなか長いひと連なりの配列を拾えないことです。もうひとつには「コンタミネーション」と呼ばれる技術的な精度にかかわる問題で、本当にその時代の氷から取れたものなのかどうかを証明しなければならない、ということなんです。

コケ坊主が与えてくれる示唆を活かして

研究の進展につれ、最も興味深いのは、このような氷床コアの地球変動や微生物の研究と、伊村智教授(国立極地研究所)が進めているもう一つの対象であるコケ坊主が、地球生命システムという1つのテーマの中でどのように関わり、何を明らかにしてくれるのかという点です。「コケ坊主」というのは、南極昭和基地の周辺地域に点在する湖沼底に棲息する、大きいもので直径30cm、高さ60cmほどの微生物の共生体です。極地では陸上よりも水の中のほうが比較的穏やかな環境と言えますが、地球上のあらゆるデータベースと照合すると、コケ坊主の中にいるのと同じ菌類の仲間が、北極や中緯度にもいることがわかってきたんです。すると、同じ種類の生物が、寒い場所と暖かい場所に生育しており、そこにどのような遺伝子の違いがあるのか、解明できる可能性があります。また氷床コアのほうでは、生物相の変化や遺伝子を年代順に追っていくことで、寒い時代には寒い耐性を持つ遺伝子が入っているとか、逆に間氷期の微生物を見ることで暖かい気候に適した遺伝子はどれかなどを導出できる可能性があります。地球環境の危機が叫ばれる現代、いかにサスティナブルな社会を形成し、人間が絶滅を逃れることができるのかに示唆を与えられればと考えています。

コケ坊主の最近の成果から

直径10cmの円柱状で長さ約4m毎に削り出される氷床コア。3,000mの深さだと3時間以上を要する作業だそうだ。引き上げられたコアは、深さ決めや初期解析を終えた後、日本へ送られ、「上向き」を示す矢印表示とともに袋詰めされてマイナス50度で厳重に冷凍保管されている。

(文:本山秀明・池谷瑠絵 写真:水谷充 公開日:2014/04/01)