オープンデータ×金融のチャレンジ

金融工学のひとつの最先端であるウォールストリートでは、トレーディングの主役はとっくにロボット(プログラム)だと言われます。人が売買する取引とは違ってアルゴリズム取引と呼ばれるプログラムによる取引は、100万分の1秒を競って行き交う世界。「買い」か「売り」か──その意思決定を行うプログラムの背後にあるのが、ビッグデータです。世の中に生起する現象をどう数値化し、どのように組み合わせて解析したら、経済を先読みすることのできる情報へと結びつくのか。リサーチコモンズの「社会コミュニケーション」プロジェクトに加わり、「金融」という視点から観光というテーマに取り組む、同志社大学の津田博史教授に聞きました。


金融ほど数字でできた世界はない。

銀行の窓口では人と人とが対面していますけれども、それ以外はすべてと言っていいほど「数字の世界」なんですね(笑)。金融機関というのはデータの固まりであり、実際にお金の流れは全部数字でできている。しかも、数字がちょっとでも狂うと大変なことになりますね。だからこのようなデータを解析することによって、さまざまな評価へとつなげることができます。たとえば銀行が企業に資金を融資する時には、金融工学や統計ファイナンスによるデータ解析に基づいて倒産リスクを推計していますし、日本の公的年金運用では、2014年の4月から従来の株式指数よりもより高いリターンやより低いリスクなどの何らかの付加価値をもった“スマート”な株式指数をベースとした運用を積極的に取り入れる姿勢が示され、株式市場でスマートベータ運用の動向が注目されています。しかし、このような日本の金融機関の動きは、実は世界的に見るとやや立ち後れています。一方、観光は産業としてこれからますます重要になります。これまで主流だった団体旅行に対して、インターネット経由で個々人がホテルを予約し、旅をデザインする個人旅行(Free Independent Travel)が伸びているのですが、この実態はまだよく把握されていません。そこで、ウェブ上にあるデータを日々大規模に集めて個人旅行者の嗜好やニーズからどんなホテルプランが選ばれているかを把握し、この行動が見えるようにしようと──この世界的にも新たな試みとして曽根原先生、研究員の一藤さんがデータベース化した情報を、使わせていただき、研究してきました。

Webデータ駆動の観光予報システム

宿泊プランの人気度への影響を分析する「ロジットモデル」

データベースは京都市にある約200の宿泊施設のウェブ予約システムから取得されたもので、時間とともにだんだん空室が減っていく様子を見ることができます。ところが、このようなシステムでは、たとえば実際は100しかない部屋数に対して宿泊プランが提示する部屋数の合計が200であるように提示されていることがほとんどです。そこで同じ部屋に対してどのプランが重なっているかを見破って、実際の稼働率を推定していきます。次にプランに付いているさまざまなオプションをカテゴリー分けし、「ロジットモデル」を使ってどの要因が販売スピードに影響を与えているのかを調べます。「ロジットモデル」は、金融工学では会社の倒産リスク、医学の世界では薬効の判別などによく用いられるモデルで、生起確率を導いてくれるため、事象を把握しやすいのが大きな特徴です。たとえばツインの部屋では「ドリンク付き」が効いていたり、売れたプランの中でも特に「女性向けお土産」に人気があったりします。このモデルを用いて人気の理由を個々の要因まで掘り下げて分析できます。

公開されたIR情報を使って客室稼働率から売上高推定へ

またデータベースは3年分蓄積されているため、稼働率の季節変動や、曜日効果などのデイリーな動きも把握できます。また客室規模や駅からの距離など、いろいろ切り口で稼働率の平均値を推定することもできます。さらにこのデータを、京都市が発表する主なホテル稼働率の月別集計と照合し、「空室あり」の場合の実際の空き部屋数の推定などにも役立てています。さてこのようにして精度アップした稼働率に、素泊まり/朝食付きプランの価格をベースに算出した基準価格を掛けると、売上高が推定できますね?──すると、これは実際に銀行がホテル経営のリスク管理に、あるいは投資会社がホテルの収益還元価値評価に使えるようなデータになってきます。そこで今度は、ホテルだけに投資している一部上場リート(会社型投資信託会社)が投資家向けに公開しているIR情報と、組み合わせてみましょう。リートが公開しているホテルの稼働率・売上高・収益率などの実績値とわれわれの推定とを比較して、その誤差を小さくすれば、実際の決算に先んじて決算情報を知ることができるわけです。これは二重の意味で画期的なことであり、まずホテルやリートが発表するより前に、決算状況を知ることができるということ。もう一つは、以前なら機関投資家だけが知り得るような高品質な情報でありながら、使っているのは誰にでもアクセスできるオープンデータです。

新たに出現する巨大データをいかに金融の分野に活かすか

ホテルの稼働率の推定にウェブデータを利用したのと同様に、ウェブ上の不動産情報は、商業用不動産の収益還元価値評価モデルや、今や銀行の主力商品の1つであるアパートローンの信用リスクの評価などにも応用可能です。実際に現在、沖縄の那覇を中心に地域の賃貸マンション、アパートのような商業用不動産全体の家賃収入等の推計を試験的に進めているところです。また京都だけでなく日本全国のホテルについて同様に稼働率や売上高の推定を行えば、日本の景気動向の指標の1つとして、より大きな経済動向を知ることができるでしょう。ところで、人工衛星が日本のほぼ上空を通る準天頂衛星システム「みちびき」の4機体制の運用が2018年に始まり、cm級測位の精度の測定が可能となる見込みです。このような高精細で新しいデータが利用可能な将来には、高精度の土地の隆起・沈下の度合いの把握が可能になるなど地震や地滑りなどの自然災害の事前の把握と、また、被害の経済損失のシミュレーションシステムの実現にも大きな可能性を感じています。そして、トレーディングの主役がプログラムにとって代わったように、今は企業訪問による調査など人海戦術で行っている企業の収益予想などの分析業務も、データ収集から推定まで一貫して自動化できる可能性があります。結局のところ、それがいろんなサービス向上につながっていくはずだ、と考えています。

所属する同志社大学がちょうど京都にあることも、プロジェクト参加の理由のひとつだったという。今年8月に立ち上がった京都市の「未来交通イノベーション研究機構」でもデータ解析を担当する予定。

(文:津田博史・池谷瑠絵 写真:水谷充 公開日:2014/11/10)