研究概要
2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く福島第一原子力発電所の事故においては、「想定外」という言葉が多く使われました。私たちの社会が持続可能なものであるためには、様々な外界の事象に柔軟に対応していかなければなりません。その際、システムが壊れないことに注力するだけでなく、壊れた後いかに素早く回復するかも重要な考えとなってきます。レジリエンスとは、環境の大きな変化に対して、一時的に機能を失ったとしても柔軟に回復できる能力を指す言葉です。
地球の長い歴史の中で、生物は多くの事象に対応してきました。たとえある種が絶滅しても、他の種がその隙間を埋めて生態系を維持してきたのです。生物に限らず、インターネットなどの人工物、経済や金融などの社会システム、あるいは企業・組織なども、外界の様々な擾乱に柔軟に対応し、その活動を維持しています。
これらレジリエントなシステムに共通な性質はあるのでしょうか。そのような性質、あるいは科学的な原理から、レジリエントなシステムを設計し運用するための知識の体系を構築することができるでしょうか。私たちは、多くの分野にまたがる研究者のネットワークを通して、これらの問いに答えていきます。そして、この知の体系が、人類社会をより安全で持続可能なものにしていくでしょう。(プロジェクトディレクター:丸山宏〔統計数理研究所〕)
プロジェクトの目的
本プロジェクト「システムズ・レジリエンス」においては、レジリエントなシステムを設計・運用するための知識の体系 (Body of Knowledge, BOK) を構築することが最終目標です。そのためには、以下の3点について、答えを持たなければならないと考えています。
- レジリエンスとは何か。その定義と評価基準
- 様々なレジリエンス戦略のカタログの体系化
- レジリエントなシステムを設計・運用するための方法論とベスト・プラクティス
プロジェクト推進体制
本プロジェクトにおいて我々はまず、できるだけ多様な分野におけるレジリエンスの知見を収集し総合します。これによって、レジリエンスとは何かについてより明快な定義とメトリックを導き出していきます。それ同時に、得られた知見を実行可能な計算モデルとして定式化することで、レジリエンスの本質を解き明かすアプローチです。このため、我々のプロジェクトは、次の4つのサブテーマにより、研究を行っていきます。
サブテーマ紹介
1. レジリエンスの統合戦略
我々が興味を持っているのは、日常の小さな擾乱ではありません。小さな擾乱に対しては、制御工学や信頼性工学などのよく知られた方法で対応できるからです。これはレジリエンスの2つの側面のうち、Resistanceの考え方と言うことができます。
一方、東日本大震災など、稀で規模の大きな事象に対しては、Resistanceの考え方だけではうまく対処することができません。これは、Resistanceのためのコストが極めて大きくなってしまうのが原因です。例えば、東日本大震災で東北地方を襲った津波に耐えられる高さの防潮堤を建設することは、工学的に可能であったとしても、コスト的には現実的ではありません。
経済学者の竹内啓はその著書『偶然とは何かーその積極的意味』において、極めて稀な事象については、起こらないものと仮定し、万が一起きてしまった場合には、その不幸を社会で再分配せよ、と述べています。我々は、ResistanceとRecoveryの戦略をどのように切り分ければよいのか、最適なメタ戦略を考えて行かなければなりません。
このサブプロジェクトでは、レジリエントなシステムを構築するために、どれだけのコストをResistanceとRecoveryの準備のために割り当てればよいかのメタ戦略の指標を作ることを目指します。(研究代表者:丸山宏〔統数研〕)
2. 生物におけるレジリエンス
生物システムには絶え間ないストレスや繰り返し起きる危機的状況に耐えうるロバストネスを内包する必要があります。我々は生物システムにおける下記の3つの互いに一見矛盾する側面に着目して生物における抵抗性と回復性のメカニズムを解明します。(研究代表者:明石裕〔遺伝研〕)
- 生態遺伝学における環境適応
生態系は常に環境の変化や外乱にさらされており、環境への外乱および危機的な状況変化に対する生態系の生存、遺伝的多様性と適応のメカニズムが寄与していると考えられます。我々は生態系とその遺伝子との関係を明らかにすることによって、そのメカニズムの解明に挑戦します。
- 集団遺伝学における有害突然変異
遺伝子の多様性を生み出すとされる突然変異は、それ自体が生物種にとっての大きな脅威になる場合もあります。大規模な集団の遺伝的解析により、様々な生物の遺伝子には恒常的に有害突然変異が発生していることが明らかにされています。ある生物種の個体数が比較的小規模である場合、有害突然変異が種全体に広がり、集団の適応度低下をもたらす可能性があるのです。一方、生物が収穫逓減の法則に従う適応度関数を持つ場合にはそれが有害突然変異に対する防御機構になる可能性があります──この仮説の検証を目指します。 - 極限的な環境での生物システム
必ずしも多様性を持つ生態系だけが安定とは限りません。南極大陸のような生物にとって過酷な環境において、非常に限られた少数の生物種が安定した生態系を維持していることが知られています。我々はそのメカニズムを解明します。
3. 社会システムにおけるレジリエンス
社会システムの秩序形成は、通常国家によってトップダウンに法制度が規定されることによって行われる、とされています。しかし、現代の複雑な社会システムにおいて、より柔軟に想定外の事象に対応するためには、このトップダウンの秩序形成の仮説を見直す必要があります。問題を解決するための最良の知識は当事者のみが有するという認識の下、状況の変化に柔軟に対応可能な、ボトムアップ型のルール形成を取り入れていく必要があります。
我々が着目するのは、近年欧州を中心として重視されつつある、「共同規制(co-regulation)」という概念です。共同規制とは、新しい社会的問題について規制を行う際、当該分野で活動する企業等の自主規制による対応を優先しつつも、そのリスクや不完全性を政府が補完するという、公私の協調的な制度形成手法を指します。
このサブプロジェクトでは、主にサイバーセキュリティやプライバシー保護等の法制度分野について、レジリエントな社会システムを実現するための、共同規制手法を用いたボトムアップ型秩序形成の方法論を構築することを目的とします。(研究代表者:岡田仁志〔情報研〕)
4. レジリエンスの計算モデル
複雑かつ大規模なシステムのレジリエンス性を評価するためには、汎用的な数理モデル上で様々な動的特性を解明する計算論的手法が不可欠です。我々は特に大規模システムを様々なネットワークモデル(Boolean, Constraint, Baysian networks等)として捉え、想定外のイベントに対するシステム構成の動的変化を効率よく表現するモデリング技法を考案します。
またネットワークモデルにおいて、1) 外乱及びシステム変数に対する敏感性、2) システム状態の予測不可能性、3) 文法的また意味論的なシステム状態間の距離の概念の導入、4) ソフト制約をできる限り多く満たすネットワーク構成の更新、5) マルチエージェントにおける多目的最適化問題等のダイナミクスを分析する計算理論の構築を行い、レジリエントなシステムを設計するための一般的原理の解明を目指します。(研究代表者:井上克巳〔情報研〕)
Research View 025
レジリエンスの知恵を役立てるために。
[システムズ・レジリエンス]丸山宏(統計数理研究所教授)・第3回「IT×災害」会議実行委員会
Research View 017
多様なる野外生物たちの戦略と進化。
[システムズ・レジリエンス]北野潤(国立遺伝学研究所・特任准教授)
Research View 001
科学として「想定外」にどう対応するか?
[システムズ・レジリエンス]丸山宏(統計数理研究所副所長・教授)