事実があるから感動がある。小説家・伊与原新さんと。
最新刊『八月の銀の雪(2020年)』が話題の小説家・伊与原新さんをお迎えし、研究者との対談によるSPECIALコンテンツ第2回目をお届けする(第1回目はこちらから)。伊与原新さんといえば、地球惑星科学などの科学の知見を活かした独自の小説作法で知られ、本年の第164回直木賞にノミネートされるなどの活躍されている。一方の研究者は、オーロラなどの宇宙・地球現象の解明で最先端的な研究活動に取り組む、国立極地研究所の片岡龍峰准教授。ふたりの対話から、科学と小説の関係が少しずつ明らかに……。
ゲスト:伊与原 新さん(小説家)
いよはら・しん。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。専門の地球惑星科学をバックグラウンドに、小説を通して、自然科学の魅力を届ける「面白くてためになるエンターテイメント」を目指す。デビュー作『お台場アイランドベイビー』で、第30回横溝正史ミステリ大賞を受賞。2019年には『月まで三キロ』で新田次郎文学賞を受賞するなど、近年、大きな注目を集める作家の一人として活躍中。
研究者:片岡龍峰 准教授(国立極地研究所)
かたおか・りゅうほう。国立極地研究所 准教授。2004年、東北大学大学院理学研究科博士課程修了、博士(理学)。専門は宇宙空間物理学。地球と宇宙をつなぐ大スケールな現象であるオーロラの解明や、宇宙天気予報の研究で知られる。2015年、文部科学大臣表彰 若手科学者賞受賞。著書に『日本に現れたオーロラの謎(2020年)』『宇宙災害(2016年)』他。2018年、NHKカルチャーラジオ『太陽フレアと宇宙災害』の講師を務めた。
古典籍の中に「赤気」というオーロラが出てくる
太陽の活動が活発になると、一般に黒点が多く観察されることが知られている。しかし太陽でより大規模な爆発のような活動が起こると、地球の磁場が一時的に弱くなる「磁気嵐」が起こり、ふだんは極域にしか見られないオーロラが低緯度地域でも見られることがある。人工衛星の故障や、地上にも大規模な停電を引き起こす場合があり、「宇宙災害」とも呼ばれている。片岡准教授は、古典文学や歴史学者との共同研究により、古典籍に記載された「赤気(せっき)」という現象が、現代のシミュレーション技術で再現したオーロラにぴたりと合致することをつきとめる研究成果を発表した(2017年)。
伊与原:片岡さんは一般向けの書籍も書かれていて、その1つ『日本に現れたオーロラの謎(2020年)』が、最近読んだ科学系の本の中でピカイチで面白かったんです。
片 岡:え、本当ですか?
伊与原:大きな磁気嵐が起こると低緯度でオーロラが見えることがあるわけですけれども、歴史上、古典籍の中の「赤気」の記述がそれを伝えている。本はこれを解き明かしていくんですけれども、その様子が臨場感たっぷりに、すごくよく描かれていて……。
片 岡:ありがとうございます。その「赤気」をシミュレーション計算によって再現したところ、まさに古典籍に描かれた通りのオーロラが出現した経緯を書きました。
伊与原:あの本は誰が読んでも絶対に面白いですよ。あれを読むと、赤気はどう考えてもオーロラ以外にあり得ない! と思ってしまいます(笑)。一つお聞きしたいのですが、中国の書物には太陽黒点の記述があるのに、日本はないんですか?
片 岡:あります。かなり古い時代にぽつっとあるんです。ただその後全然見つからなくて、江戸時代に黒点のスケッチが現れる。
伊与原:日本のような低緯度地域でオーロラがどう見えるのか、誰も真剣に考えたことがなかったということを知って、とても意外だったし、すごく面白かった。
片 岡:そうですね。非常に単純なんですが、その秘密が分かった時は……
伊与原:僕も読んでいて本当に鳥肌が立って、これはすごいものを読んでしまった! と。
片 岡:ええ。僕も驚いたことを、そのまま伝えただけなんです。
定家が書き残した1204年京都の真実とは?
片岡准教授らはまた、藤原定家(1162-1241)の『明月記』に見られる、1204年に京都でオーロラが見えた記述を元に、平安・鎌倉時代における巨大磁気嵐の発生パターンを明らかにする研究成果を発表した(2017年)。定家は「長引く赤いオーロラ」を詳しく記録しており、これは京都のような緯度の低い地域でオーロラが観測された記録としては、日本で最古にあたるという。
伊与原:定家の『明月記』ですけれども、これまでの『明月記』の研究では、赤気の記述はどのくらい重要視されていたのでしょうか? あるいはほとんど無視されていた?
片 岡:藤原定家はちょっとファンタジー性のある人だから、科学者のように写実的に事実を記述していたというようには、必ずしも読んでなかったということを聞きました。
伊与原:片岡さんの本を読んでいて思ったのは、私たちには、藤原定家がそんなに正確に自然を記述するはずがないとか、江戸時代の赤気にしても自然現象に忠実にスケッチするはずがないという思い込みがどこかにあって、これまであまりまともに取り合わなかった可能性があると思うんです。それを片岡さんが実際に計算して、本当にこう見えるということを示してくれたのが、僕は衝撃的でした。それから、本の中に昭和年代に新潟で見えたオーロラをスケッチした方が登場するのですが、その方が──「あのオーロラは日本社会が準備して待っていたのであり、それを見て記録を残す役割がたまたま自分に回ってきたのだと考えています」と書かれていて。震えるぐらい感動しました。何かに興味を持ち、それが起きるのを待っていたから、素人の自分でも正確に記録できたということを冷静に語っている。すごい人だなと。
片 岡:お医者さんなんです。
伊与原:そうでしたか。自然に対する直感力とか観察力というのは、たぶん人間誰もが持っている力であって、きっかけさえあれば誰でも科学的な自然の見方ができる。振り返って、自分の本がそういうきっかけになればよりいいなと思います。
──でも、科学がわかれば小説が書けるわけではないですよね?
伊与原:それについては、実は片岡さんの本に書いてあるんです。片岡さん自身の言葉じゃなくて、寺田寅彦が『俳句の精神』の中で書いたのを紹介してくれているんですけれども。
片 岡:ええ。
伊与原:「自然の美しさを観察し自覚しただけで句はできない」「自己と外界との有機的関係を内省することによって初めて可能になる」と。自然を観察した後に、それをどう自分の中に照らし合わせていくか?──僕が書いているような小説も、それをどうやるかに尽きると思います。
『アルノーと檸檬』をめぐって、鳩が気になる
片 岡:僕は(伊与原作品の中で)どれが一番好きかといったら「八月の銀の雪」。でも、同じぐらい「アルノーと檸檬(『八月の銀の雪』収録)」も好きですね。なぜかはちょっとはっきりしませんけど……伝書鳩かな?
伊与原:片岡さんの本にも、鳩の話が出てきますよね。鳩は地磁気を利用して飛んでいると言われていますから。
片 岡:そうですね。米国海洋大気庁(NOAA)の宇宙天気予報センターに行くと、鳩が飾ってあるんです。宇宙の影響を受ける身近なものというテーマの展示がいくつかある中に、なぜか鳩がいて。じつは以前、昭和33年のオーロラを調べていてびっくりしたんですが、伝書鳩は新聞社では60年前ぐらいまで使われていたんですね。
伊与原:そうなんですよ。磁気嵐のときに自社の鳩が行方不明になってしまったとか、新聞社に何か記録が残っていたら面白いのですが。
片 岡:そうですね、本当に鳩は地磁気の影響を受けるのか?
伊与原:なかなかはっきりとは調べられていない。鳩レースでは稀に大半の鳩が戻ってこないことがあります。レース中に大きな磁気嵐があったからだという人もいれば、天敵である猛禽類に襲われたんじゃないかという人もいる。
片 岡:そうですね。屋外でパンを食べていると、パンくずを拾いに鳥たちが来るじゃないですか。この鳥が宇宙とつながっているというのはもう本当に驚きで。まさかこのパンくずを食べている鳩がなあと思う。そう思い始めると好きになっちゃって──それで鳩にはずっと注目しているんです(笑)。
伊与原:もともとこれを書き始めたのは、担当編集者の方に「伝書鳩って切ない存在だと思いませんか?」と言われたのがきっかけで。確かに伝書鳩は切ないなと。
片 岡:切ない? そうですか?
伊与原:つまり本能を無理矢理人間に利用されて、いじらしいというか。かつては戦争にも連れて行かれて、通信用に使われて。そんなエピソードをいろいろ送っていただいたので、小説になるかもしれないなあと思って。一方僕の中では鳩といえば当然地磁気だと(笑)。そんな感じで進んでいったんです。
片 岡:レース鳩って、すごく見た目がきりっとしていると小説に書いてあったので、一度見てみたいなあと思いました。厳しい訓練をしているから、たたずまいが違うのではないかと……。
伊与原:僕も見たことないのですが、見た人によれば、とても筋肉質で、その辺の鳩とは違うそうです。
片 岡:なるほど。
科学的に間違っているほうがこわい
片 岡:ところで、伊与原さんの作品は、取り扱っているテーマがすごく幅広いような気がします。いろんな論文を読まれるんですか?
伊与原:そうですね。原著論文を読むこともありますし、自分の専門から離れている場合は、総説や日本語の文献を読むことが多いです。
片 岡:毎日いろんなアンテナを張って勉強するのは、大変ではないかと……。
伊与原:大変ですね。でもやっぱり研究者時代の習性が抜けなくて。物語が面白くないと言われるより、科学的に間違っていると言われるほうが怖いんです(笑)。
片 岡:伊与原さんの作品を読んで、僕がこれまで読んできた小説とは全然違うと思うのは、そういうところにあるんじゃないかな……?
伊与原:「科学」と言ってしまうと、小説好きな人の一部に、自分の興味とは違うなと手に取る前から避けられるおそれはある。それでたとえば本のオビにも「科学」という文字を入れるかどうか、ずっと悩んできたんです。でも──
片 岡:入ってる。
伊与原:入ってるんです。もう今はどんどん、入れていこうと。科学ですよと言って、なおかつ面白いと思ってもらえなければ、あんまり僕が書く意味がないかなと思ったりして。
片 岡:それに関連して言うと、科学的な背景を知っていれば、より面白く読めると思います。知らない人が読んでも面白いけど、研究者が読むともっと面白い。
──ちなみに、作品のおしまいに参考文献がついていますが、これについても教えてください。
伊与原:論文を書く時には、自分の主張と他人の先行研究を峻別しなければいけません。これと同じで、自分が考えたことだけではなくて、いろんな人が研究してきた、その上に、この小説は成り立っているということを示す意味で、僕はなるべく参考文献を挙げています。小説の書き方としても、科学的事実にインスピレーションを受けて物語を作っているので、ここまでは事実なんだよということはわかってほしいんですね。なぜなら、やっぱりそのほうが、僕は面白いと思うんです、エンターテインメントとして。
片 岡:全く同感です。今の時代には何が事実かということが非常に重要で、事実の下にもちゃんと感動がある。そういうストーリーから僕らは安心感を受け取るし、だからこそ、それが読者に染みわたる。本当のことを表現するときに、ただ書くのではなくて、本当に物語としてもなんかふわっと暖かくなるというのは、今のこの不安な時代にもぴったりですよね。今まさにそういうものが求められていると思います。
伊与原:確かに。
片 岡:そういった手法で、本当のことが人々に知れ渡るしくみになっているのは、すごいことだなあと。今までにないことだし、文字情報からこんなに受け取れるなんて、すごいことだなあと。心が傷んじゃっている人とかにもすごく紹介したいなと思います。
──これからの予定等について一言ずつご紹介ください。
伊与原:今狙っているところをちょっとご紹介すると、ウミガメとか渡り鳥とか、長距離移動をする生き物がとても好きなので、調べたいと思っています。特に最近、渡り鳥にGPSを付ける研究から、実際の渡りの様子が詳しく分かってきているので、面白そうだなと思っています。それからカルデラ噴火。これについては日本人が避けて通れない問題だと思うので、ずっと考え続けています。
片 岡:僕の基本的な関心は、まだよくわかっていない宇宙空間のあり方を知りたいというところにあります。今は特殊なカメラを使ってオーロラを撮影することに集中していて、しばらく続けるつもりです。あと人類はこれから月や火星に行きますから、宇宙放射線による被ばくのこと、また地球では停電しないようにすることなどについても責任持って研究しようと思っています。
(聞き手:池谷瑠絵 写真:河野俊之 公開日:2021/02/10)