Science Report 012

僕らはゲノムでできている。06

チンパンジーゲノムから何がわかったか?

2017年10月30日、京都大学において、松沢哲郎 京都大学高等研究院副院長・特別教授、郷康広 自然科学研究機構新分野創成センター特任准教授、藤山秋佐夫 情報・システム研究機構国立遺伝学研究所特任教授が出席して記者発表が行われた。京都大学霊長類研究所のチンパンジーであるアキラ(父)、アイ(母)、アユム(息子)のゲノムを大規模に解析して、親子1世代で起こるゲノム変異を明らかにしたという研究報告だ。約30億塩基対あるチンパンジーのゲノムのうち、1億塩基対あたり平均1.48個の「新規1塩基突然変異」が生じていたというのだが……ではそこから、何がわかるのだろうか?(プレスリリースはこちら)
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答える人:松沢哲郎 特別教授(京都大学高等研究院)

京都大学高等研究院・特別教授、京都大学霊長類研究所・兼任教授、理学博士(京都大学)。1974年、京都大学文学部哲学科卒業。1977年11月から「アイ・プロジェクト」とよばれるチンパンジーの心の研究を始め、野生チンパンジーの生態調査も行う。チンパンジーの研究を通じて人間の心や行動の進化的起源を探り、「比較認知科学」とよばれる新しい研究領域を開拓した。

答える人:藤山秋佐夫 特任教授(国立遺伝学研究所)

情報・システム研究機構データサイエンス共同利用基盤施設施設長、国立遺伝学研究所特任教授、理学博士(名古屋大学)。大阪大学医学部、大阪大学細胞工学センター、コールドスプリングハーバー研究所、シカゴ大学を経て、1989年国立遺伝学研究所助教授、2002年国立情報学研究所教授、2008年国立遺伝学研究所教授を経て、2016年より施設長。専門はゲノム生物学。ヒトゲノム、チンパンジーゲノムの比較解析等で知られる。


なぜチンパンジーゲノムなのか?

今回のゲノム解析の源となるチンパンジーの体毛や血液は、愛知県犬山市にある京都大学霊長類研究所で採取されたものだ。霊長研は、世界的にも著名な霊長類学の総合的研究拠点であり、松沢哲郎特別教授は1977年、ここで暮らす「アイ」という名のチンパンジーに出会い、以来40年にわたって「チンパンジーの心」を研究してきた。2000年4月24日、そのアイが 34歳(推定) で出産したのが、息子のアユムである。松沢哲郎著『おかあさんになったアイ(講談社学術文庫)』には、出産直後のアユム の「手足がだらりと垂れ下がって」いたため心配された様子等が詳しく記されている。「僕らは学習行動を通じて、チンパンジー達の心の中に、生まれてから蓄積していく知識のような部分を研究してきました。氷山にたとえれば、海上に浮いている僕らの研究に対して、海面下にある見えない部分を大きく担っているのがゲノムです。なかでもゲノムの中の遺伝子の働きが詳細に分かってくると、もっとはっきりと氷山全体が見えてくるのではないかという期待がある」と松沢教授は言う。「たとえば攻撃性が高いという性格はアンドロゲンという男性ホルモンと関わっていますが、アンドロゲン受容体の遺伝子は既に特定されています。では今度は攻撃性を抑制する遺伝子はどこか……というふうにして、今後どんどん研究が進んでいくものと考えています」。

松沢哲郎教授(右)と藤山秋佐夫教授(左)、京都大学にて。

ヒトとチンパンジーのゲノムを比較する

一方、藤山秋佐夫特任教授は、ヒトゲノム計画に参加していた2003年頃から、チンパンジーゲノムに注目してきた。「進化的に最もヒトに近いチンパンジーを調べ、ヒトゲノムと比較することで、共通の祖先からそれぞれが進化するために重要な役割を果たした遺伝情報を明らかにすることができます。またチンパンジーとヒトではかかる感染症もほとんど共通であることなどから、チンパンジーゲノムの解明が、ヒト疾患の新たな治療法の開発にも役立つと期待されています」。藤山教授らはすでにヒトゲノムの21番染色体と、これに対応するチンパンジーのゲノムの22番染色体を決定・比較する成果等を挙げてきた。「2004年の研究では、共通の祖先からヒトとチンパンジーが分岐したのが600万年前、1世代の長さを20年と仮定してシミュレーションを行い、突然変異の確率を計算しました」と藤山教授は言う。2004年のある日、その共同研究のために藤山教授が犬山を訪ねた日のことを、松沢教授はよく覚えているという。「100人来て99人までアイちゃんはどれですかって聞くんだけど、藤山先生だけ、ゴンはどれですか?(笑)──2004年の段階で、すでにチンパンジーゲノムについて道をつけていた」と振り返る。

親子トリオのゲノム解析で何がわかる?

今回の成果はまず、ヒトゲノムではすでに進められている1個体ごとの遺伝情報「パーソナルゲノム」を、チンパンジーを対象として「親子トリオ」と呼ばれる父・母・子のセットで解析している点で注目に値する。そしてヒトを含めたパーソナルゲノム研究としても未踏の4500〜5700億塩基対もの大規模データを使い、1世代にかかる実時間を計算に入れた高精度な解析であることが特徴だ。これにより「進化の駆動力である1世代に生じる新規1塩基突然変異は1億塩基対あたり平均1.48個で、これまでにヒトで報告された値(0.96〜1.2個)より高く、その75%が父親(精子)由来であることが明らかになった」と郷康広特任准教授は説明する。つまり、親から子へ遺伝情報が受け継がれる際に、どんなエラーがどれだけ起こり、ゲノムが変化したのかが詳しく確かめられたのである。「親子トリオから一歩進んで、3世代や、親子トリオの兄弟のゲノム等が調べられれば、より詳しいことがわかってくるはず」と藤山教授は言う。

賢馬ハンス100年のギャップを越えて

ところで、霊長類をもう少し広く眺めると、その周りにはさまざまな哺乳類がいる。松沢教授は近年「馬」を対象として、新たな氷山に挑みつつあるという。「哺乳類は6,600万年前の恐竜が死に絶えた世界に、急速に適応・放散しました。哺乳類の共通祖先は夜行性の小型のネズミに似た生き物だったと言われます。他の多くの哺乳類もこれと同じように地上性であり、このように地上に満ち満ちた哺乳類を考える時、ピットフォールのように、誰も馬の研究していない」。一方、多くの哺乳類に反して、霊長類は樹上という道を選んだ。「チンパンジーを見てもニホンザルを見ても、四肢はすべて手のかたちをしています。四つ足動物が木に登って、4つの手になった。さらにヒトは、樹上から地上へと戻った非常にユニークな哺乳類であり、人間になって初めて足ができたと考えることで、6,600万年前から今まで霊長類の歴史が、ひもとけるようになる。ここでもゲノムは、旅の友なんです」と、松沢教授は言う。チンパンジーの時と同様に馬においても、実験と野外の研究を並行して行う計画だ。

馬の研究が進まなかった原因の1つは、クレバー・ハンスという馬の影響だと松沢教授は見る。「19世紀末から20世紀初頭にかけて、計算問題などに答える馬が登場して、その後トリックだったことが判明したんです。このため、その後100年にわたって研究が止まってしまった。たくさんの人が馬に関心を持っているのに、ギャンブルや乗馬など命令することにばかり使って、馬が何を考えているのかが明らかになっていない」。

(聞き手:池谷瑠絵 チンパンジーの写真:京都大学霊長類研究所、特記外:飯島雄二 公開日:2017/11/16)

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