Science Report 011

僕らはゲノムでできている。05

植物ゲノムは暮らしのどこに役に立つ?

地球上の多様な生命活動の中で食物連鎖のてっぺんにいるのがヒトとすれば、植物は底辺を担う。しかも植物には光合成という重要な働きがあり、植物なしには、その上にいる動物もみんな生き延びることができない。光合成過程で重要な役割を担っているのが、シアノバクテリア(ラン藻)である。生物や地球環境の進を考える上でも重要なこの生物は、1996年、世界で4番目に全ゲノムが明らかにされた。解読に成功したのは、日本の研究所──公益財団法人かずさDNA研究所である。千葉県にあるこの研究所は、特に植物ゲノムの研究やデータベースで知られ、シアノバクテリア解読以降も研究機関・大学との共同研究や産学連携によりシロイヌナズナ、トマト、ハクサイ、ユーカリ、食用イチゴ、カーネーション、ダイコン、サツマイモ、ソバ、ラッカセイ祖先種、イチジク、サクランボ「佐藤錦」等のゲノム解読を次々に共同発表してきた。野菜や果物が多く含まれていることからもわかるように、植物のゲノムは農業や食物を通じて私たちの生活に直接関わるほか、地球温暖化による環境変化に適応するためにも欠かすことができない。今回は、そんな植物ゲノムの世界をのぞいてみることにしよう。
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答える人:田畑哲之所長(かずさDNA研究所)

かずさDNA研究所所長。1977年神戸大学理学部生物学科卒業、1979年京都大学大学院理学研究科博士前期課程修了、1983年理学博士(京都大学)。1982年米国カリフォルニア大学博士研究員、1985年京都大学化学研究所助手等を経て、1994年かずさDNA研究所主席研究員、2013年より現職。1996年のシアノバクテリア(ラン藻)ゲノム解読では、中心的役割を果たした。1997年東京テクノフォーラム21ゴールドメダル賞、2001年日本植物生理学会特別賞、同年Kumho Science International Award等を受賞。略歴はこちら


植物ゲノムは長くて遺伝子が詰まっている

総じて植物ゲノムは動物に比べて長く、遺伝子も多いのだそうだ。「ゲノムには遺伝子を成すひと続きの部分と、遺伝子と遺伝子の間をつないでいるだけでタンパク質の合成にあずからない部分とがありますが、植物ゲノムは遺伝子の部分が多く、全体的にも長い特徴があります。動物と違って動くことができない植物は、特に環境耐性に対する遺伝子をたくさん持っているんですね。一方動物は、どちらかと言うと遺伝子が少なめで、つなぎ方を変えて変化に対応する傾向があり、戦略も対照的」と言うのは、かずさDNA研究所の田畑哲之所長だ。さらに「倍数性といって、人を含め動物の多くは母親と父親の2系統から遺伝子が伝えられる2倍体ですが、例えば植物である小麦は6倍体で、A・B・Dという似ているけれども少しずつ異なる3種類のゲノムを2セット併せ持っています。私たちが食べるパンもこの6倍体の小麦でできているんですね」。しかし植物だと、なぜゲノムが増えてしまうのだろうか?「細胞分裂時等に起こる何らかの異変が原因でしょうが、動物に起こると、生き延びることができません。しかし植物は比較的それを許容する。また人の影響も大きくて、雑種強勢といって雑種になると勢いが強くなる現象があるのですが、ゲノムの倍加によっても植物体が大きくなることが知られています。このような「変異種」が人為的に選抜され、作物として現在まで生き残ってきたと考えられます」。ちなみにサツマイモは6倍体、イチゴは8倍体と長く、また、より複雑だ。「ゲノムを読み取ってもなかなか区別できないので、作物のゲノム解析は実はすごく難しいんです」。

かずさDNA研究所は、緑豊かな千葉県木更津市のかずさアカデミアパーク内にある。

植物のゲノミクスを実際の畑に活かす

田畑所長が植物ゲノムに取り組んでいるのには、いくつかの理由がある。「作物を使った育種技術を誰がやるのか」という問題意識もその一つだ。「植物の研究はこれまでどちらかというと実験室の中で、実験材料として確立された「モデル植物」を使って行われ、栽培の現場とは結び付いていませんでした。精密にコントロールされた環境と、いつ雨が降るやら病気が来るやら分からない環境を、つなぎようがなかったんですね。しかしフィールドで取ったデータとゲノミクスを結び付けることに、われわれは何とか挑戦しなければいけない。そこで、そもそもフィールドを科学的にどう取り扱うかについての方法論を作り、次にその解析の手法を作る。さらにその結果として植物にどんな変化が生じたかを評価する、という3つの課題を立てて、研究を進めています」。この挑戦は現在CREST研究プログラム「環境変動に対する植物の頑健性の解明と応用に向けた基盤技術の創出」の中で推進されているそうだ。「ヒトゲノムが治療や創薬へ活かすステージに入っているように、植物もやはり社会実装のほうへ向かわなければならない。そこにある大きな困難を何とかクリアするのが、研究所の課題でもあるし、日本の課題でもあると考えています。特に近年は環境変動が激しく、東南アジアの害虫や病気が、九州周辺にまで北上してきていることがあります。新しい抵抗力を備えた品種を育てるためには、すぐにも育種スピード速めなければなりません」。

研究所では植物ゲノムの他、個別化医療に関連して稀少性疾患のゲノム解析の受け入れも行っているという。画面背景に見えるのは千葉県の公式キャラクター「チーバくん」。

ゲノムは今後ますます社会に活かされるべき

このような問題に立ち向かえるようになったのには、ゲノミクスという科学そのものの発展が大きく寄与している。学生時代、生物学を専攻していた田畑所長は「いつになったら生物全体が分かるんだろう、とずっと考えていた」と振り返る。「当時は個々の現象や個々の遺伝子に関する理解を1つ1つ積み上げるのが生物学でした。ゲノミクスが登場して、まず網羅的なリストを作り、そのリストから全体の理解へ向かうような新しい研究分野をもたらしました。それがデータ駆動型サイエンスとしての今日のゲノミクスだと言えるでしょう」。例えば、タンパク質の相互関係や、代謝によって生成される物質、その化学変化といったものを全ゲノム総当たり的に調べる。かずさDNA研究所では、このような解析に用いられる「オーミクス解析」を備えたデータベースの拡充も行っているという。ただ難しいのは、仮にデータがうまく合っても、それがそのまま生物学の答えではないという点だ。「ゲノムデータは他の科学とも連携できるような共通のプラットホームではあるのですが、仮にデータに同じ部分があっても、環境も違えば、他の遺伝子も違うので、異なる機能を発現するかもしれません。ゲノムという基盤の上に、生物学がどんな理解を積み増せるのかが勝負」と田畑所長は言う。このような観点から、田畑所長は、ゲノム解析で生命科学の進展を支援する「ゲノム支援(2010〜2014年度)」の共同研究にも参加してきた。植物ゲノムの成果が、いよいよ実際の社会に活かされるステージへ向けて、科学者の挑戦が続いている。


植物約250万種を検索「ナショナルバイオリソースプロジェクト」

シロイヌナズナ、イネ、コムギ、オオムギ、広義キク属、アサガオ、ミヤコグサ・ダイズ、トマト、藻類等の植物は、国が戦略的に整備することが重要なものとして、「ナショナルバイオリソースプロジェクト(NBRP)」(→SR009参照)に登録されている。研究開発に不可欠な「モデル生物」であるこれらの植物は、その収集・保存・提供が行われているほか、植物約250万種(2017年10月10日現在)の情報はウェブ上でも検索できる。画面は、イネのデータベース。

イネ(稲)データベース:Oryzabase(代表機関:国立遺伝学研究所)

(聞き手:池谷瑠絵 特記外の写真:飯島雄二 公開日:2017/10/10)

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