Science Report 005

北極を知って地球を知る。05

世界は北極域をどう見ているのだろう?

変わりつつある北極は、地球環境保護の視点からだけでなく、その豊かな鉱物資源や北極海航路などの持続的な開発を巡って、社会・経済的にも世界の注目を集めている。北極圏は北欧、ロシア連邦、アメリカ合衆国など8カ国が領土を有しているが、日本を含めた北極地域以外の国々へとその関心は広がりつつある。また北極の海や大地には、古くから「イヌイット」や「ユピク」という先住民社会があり、近年の急激な環境変化によって森林の倒壊やパイプラインの寸断など、彼らの生活手段や社会のインフラへの影響が大きな問題ともなっている。北極を世界はどう考え、また北極圏の人々はどのように感じているのだろうか?
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答える人:田畑伸一郎教授(北海道大学)

国内総生産(GDP)に占めるロシアの石油・ガス部門のインパクトを明らかにするなど、ロシアのマクロ経済成長を比較経済の視点から統計分析する研究で知られる。2017年1月までスラブ・ユーラシア研究センター長として、北極域に関わる地域間比較研究、境界研究、先住民研究などの分野間連携を図り、北極域研究推進プロジェクト(ArCS)における北極域の文理融合研究推進に尽力。現在同センター教授、および北大北極域研究センター教授を兼任。略歴はこちら(ホームページresearchmap)。


北極域を考える国際的な枠組み

北極圏に領土を持つアイスランド、スウェーデン、デンマーク(グリーンランド)、ノルウェー、フィンランド、ロシア連邦、アメリカ合衆国、カナダの8カ国が「北極評議会(Arctic Council, AC)」を設立したのは、冷戦後の1996年にさかのぼる。北極圏の豊かな鉱物資源や北極海航路などを巡って、持続可能な開発や環境保護など、北極圏にかかわる共通の課題について協力・調和・交流を促進しようという政府間協議体だ。「メンバーの中で、圧倒的に発言権が大きいのはロシアでしょうね。北極の経済活動の6割はロシアが担っているし、北極海航路と言えば、基本的にロシアの北を通るルートを指します。また地政学的にも、ロシアは北極海が自分たちの海だとある程度考えているでしょう」と言うのは北海道大学の田畑伸一郎教授だ。ロシアにアメリカ、ヨーロッパの国々などが加わる会議はさながら国際社会の縮図だが、この会議にはもう一つ、先住民族の団体が常時参加者として参与していることも特色となっている。

北極圏に入って約350km、ノルウェー北部にあるトロムス島の街の風景。北緯69度に位置するため、白夜やオーロラなど極域特有の自然が体験できる観光地としてもにぎわう。写真:国立極地研究所

北極域を対象とした人文・社会科学の役割

ところで田畑教授が所属する北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターは、北極観測よりも長い60年を超える歴史を持つ。2014年、当センターは「スラブ」に「ユーラシア」を加える名称変更をした。「その理由は、まずスラブというとほぼロシア系の人々を指すと思われてしまうわけですね。ところがロシア・東欧には異なる民族がたくさん住んでいる。たとえば中央アジアやコーカサスの国々、ハンガリー、ルーマニア、エストニアなどがそうです。またセンターの研究者が対象とする地域も、最近はモンゴル、グリーンランドなどへと拡大してきました」。北海道大学ではシベリアをフィールドとした文化人類学や、アイヌをはじめとする先住民研究なども盛んであり、「スカンジナビアのサーミの人々とアイヌの人々には、同じ寒冷地に適応した先住民族として文化的にも共通する部分がある」と田畑教授は言う。「ところが地域研究の対象としての北極圏を人文・社会的に捉えようとすると、今までの学問の枠組には、どうも当てはまらないんですね。そこで私はカナダ、アメリカからロシア、スカンジナビアの国々に至るすべてが『北極域』というひとつの地域なのだという認識で、その地域研究に取り組んでいます。経済・社会的な視点からは、この地域でどうしたら生活を再生産できるのかが研究課題となるでしょう」。

札幌北大キャンパス内にある、北海道大学総合博物館 北極域研究センターの展示室にて。この博物館は入場無料で一般に公開されており、来館者も多い(ホームページはこちら)。

ロシア経済からみた北極資源の重要性

北極域という地域の大きな特徴のひとつは、豊富な資源を蔵していることだ。たとえばノルウェー北方沖やアイスランド近海では、ベーリング海と並ぶ漁業資源があり、アラスカの北には石油基地が稼動している。またロシアとノルウェーの領海の境界領域に横たわる石油・天然ガスの海底資源を巡っては、しばしば両国間で折衝が行われてきた。「ロシアは生産量・埋蔵量・輸出量のいずれにおいても石油・ガスともに世界第1位か第2位という国ですから、ロシア経済にとって石油・ガス部門は極めて重要なんですね。帝政ロシア期の19世紀後半に工業化を支えたのもカスピ海に面したバクーの豊富な石油資源だったし、1940年代からは第2バクーと呼ばれるヴォルガ=ウラルが、1970年代には西シベリアが石油・ガス生産の中心となってきました。ところが現在はどこも頭打ちになりつつあり、新しい開発はどんどん東へ北へと向かっています。このような背景から北極の開発はロシアにとって間違いなく重要であり、やらざるを得ないものと考えられるのです」。

写真は、北東ユーラシアの凍土の調査に取り組む、矢吹裕伯特任准教授(国立極地研究所、002号参照)の活動から。地中温度が摂氏零度以下で凍結している土地を凍土といい、このうち少なくとも2年以上零度以下を保ったものを永久凍土という。永久凍土はシベリアを中心に北半球陸地の24%に分布する。地球温暖化は凍土氷を融解させるが、凍土の融解が進むことは、温暖化をさらに加速させる要因ともなる。写真上(左右)は2006年夏、北極海沿岸のツンドラ地帯にあるティクシで60mのボーリングを行い、地温観測装置を設置した時の様子。「調査・観測には現地の人たちとのコミュニケーションが不可欠。地元の理解があってこそ装置の維持が可能」と矢吹准教授。取得されるデータから、地球温暖化に伴う永久凍土変動や陸域植生変動のプロセスを解明する。写真下左は、東シベリアのヤクーツクで凍土融解により池からメタンガスが発生する様子。写真下右は、凍土融解により森林や電柱の倒壊が懸念される、ロシア北東にあるサハ共和国のヤクーツク周辺の町の風景。撮影:矢吹裕伯

ヤマル半島の資源開発を巡って

ロシアが中でも力を入れている資源開発地のひとつが、北極海に面したヤマル半島だという。ちなみに「ヤマル」は現地語で「世界の果て」を意味し、大部分が永久凍土に覆われ、先住民族による伝統的なトナカイの遊牧が現在も大規模に維持されている土地柄だ。「石油・天然ガスが豊富で、液化天然ガス工場を作る計画が2007年から具体的に動いています。また港も建設されつつあり、これに北極海航路が開かれれば、不凍港としてヨーロッパへは通年、夏場には日本や中国などアジア地域への搬出路が得られます」。しかし開発にあたって、ロシアにはLNG生産や深海での油田掘削などの高い開発技術がないという問題がある。「バクー時代からアメリカ資本が事業に参加してきており、アメリカ、日本、フランス、オランダなどの技術支援がないと開発が進まないんですね。またロシアとしては、輸出先であるアジアの国々にも関心を持ってもらう必要があります」。


北極評議会には、アジアなど北極域外の12カ国が常任オブザーバー国として列席する。日本も2013年の第8回閣僚会合でオブザーバー資格が承認された。「鉱物資源などの経済的な問題は日本にとっても重要ですし、なにより日本は北極海航路の経由地でもあります。また北極という場を巡ってどういう国際関係が形成されていくのか、中国や韓国も強い関心を寄せていますので、日本としてもプレゼンスを示そうという方向にあるでしょう」。北極は、これからも長く社会経済、国際関係、科学・文化などの視点が絡み合った世界的な関心が注がれる地域となりそうだ。

(聞き手:池谷瑠絵 特記外の写真:飯島雄二 公開日:2017/03/10)

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