Science Report 004

北極を知って地球を知る。04

海の変化は生態系にどう影響している?

いま大きく変化しつつある北極──これまでに紹介した大気、海氷、森林などに続いて、今回は海洋の環境変化についてお伝えしよう。海洋は地球上の約7割を占めるため、その観測は、地球全体の変化やスケールの大きい気候変動を理解する上で欠かすことができない。また海は平均水深約3,800メートルに及ぶ広大な立体空間であり、この中で水温や塩分、密度などの物理的性質、二酸化炭素や栄養塩 (主に硝酸、リン酸、ケイ酸)などの化学成分、そして栄養塩を利用する植物プランクトンやそれを捕食する生物など多様な要素が相互に関係し合っている。このように広くて複雑な海洋の環境は、いま北極でどう変化し、海の生態系へどのように影響しているのだろうか?

答える人:西野茂人主任技術研究員(海洋研究開発機構)

北極環境変動総合研究センター 北極環境・気候研究ユニット主任技術研究員(写真左)。JAMSTECの海洋地球研究船「みらい」による北極航海をリードし、海洋や大気の観測を行う。地球温暖化や海氷減少に伴う北極海の物理・化学環境の変化と、生態系への影響についての研究を進めている。略歴はこちら。写真右は、渡邉英嗣(海洋研究開発機構)北極環境変動総合研究センター 北極環境・気候研究ユニット研究員。渡邉英嗣の略歴はこちら


海洋地球研究船「みらい」8,706トンで北極航海へ

海洋研究開発機構(JAMSTEC)が有する、世界的にも屈指の大型研究船である「みらい」8,706トン。西野茂人主任技術研究員は、この「みらい」に毎年のように乗り込んで北極海での観測を続けている。北極域研究推進プロジェクト (ArCS)の一環としても進められた2016年の北極航海では、2013、2015年に続き首席研究員を務めた。船は日本を出発し、北太平洋を横断、まずは北部ベーリング海を目指す。「生物が非常に豊富な海なので、生物の観測を重点的に行いつつ北上していきます」。シベリアとアラスカに挟まれたベーリング海峡を抜けると、そこはチュクチ海という北極海の中では生物の豊かな海域だ。さらに進むと、海底の水深が深いカナダ海盆と呼ばれる海域に至る。「ここは近年、海氷が融け、海洋の温暖化、淡水化、貧栄養化、酸性化といった大きな環境変化が起きている海域ですね。ここでは、そのような変化をとらえるべく総合的な観測を実施します」。観測メニューは大気、海洋気象、波浪・飛沫(しぶき)、温暖化ガス、海洋物理・化学環境、プランクトンから海鳥等に至る生物や海底堆積物など、多岐にわたる。「『みらい』は耐氷能力を有するものの海氷に阻まれて船が近づけなかったり、天候によって観測できなかったりします。そこで毎日ミーティングして実施メニューを決めるんです。北極海で起こっていることをできる限りこの『みらい』で捉えようとしています」。

北極海のアラスカ・バロー岬沖(71°25’N, 158°40’W)に到達した海洋地球研究船「みらい」の船首から望む海氷縁。撮影:西野茂人

北極海で進行する淡水化、貧栄養化、酸性化

北極海に流入する海水には大きく2つの種類がある。ベーリング海峡から流入する太平洋起源水と、大西洋から入る大西洋起源水だ。2種類の暖かい海水は熱だけでなく栄養塩やプランクトンを多く含み、それらを北極海に供給する役割を担っている。この他北米やロシアから北極海へ流れ込む河川水があり、水深が浅い「陸棚域」で太平洋起源水や大西洋起源水と混ざり、陸棚水を形成している。近年、北極海の海氷が融けてきていることがわかっているが、これにより海の表面近くの淡水化が進んで、陸棚水が薄まり栄養塩濃度が低下(貧栄養化)したり、弱アルカリ性の海水の性質が酸性の方向に傾いたり(酸性化)する。これらはどれも、生態系に影響を及ぼす可能性がある変化だ。また海氷がなくなると、氷に分け隔てられていた海水と大気が直接触れ合うため、二酸化炭素の海への溶け込みを加速し、酸性化をさらに進行させる。「北極海の酸性化は、他の海域に比べて非常に速いペースで進んでいる」と西野主任技術研究員は言う。

二酸化炭素を吸収する海の異変

海洋はもともと、大気中に排出された二酸化炭素の3分の1を吸収しており、同時に「生物ポンプ」と呼ばれる働きによって、海洋表面から炭素を除去する役目を果たしていることが知られている。海に溶け込んだ二酸化炭素の一部は植物プランクトンに取り込まれ、植物プランクトンはさらに動物プランクトンに捕食される。プランクトンの死骸や糞は沈降していき、その一部が堆積物となって海底に炭素が貯蔵されるしくみだ。「植物プランクトンは栄養塩の豊富な海に多く生息します。しかし、北極海の淡水化が進むとさきほどのように海の表層の栄養塩濃度が低下し、その結果プランクトンが減少し、生物ポンプがうまく働かなくなってきます」。また北極海の酸性化が進むと、海中のプランクトンや甲殻類などの生物の炭酸カルシウムでできている殻が溶けだしてしまうという可能性もある。この溶けやすさの指標が炭酸カルシウム飽和度オメガ(Ω)である。Ωは、1未満で「未飽和」、すなわち生物の殻や骨格などに含まれる炭酸カルシウムが海水に溶け得ることを示す。「北極海の表面では2000年代に入ってから、Ω値が1を切るようになってきました。ただ、それですぐにカニやエビ、貝のような生物の殻が溶けるかというと、生物の環境への応答についてはもう1段階、研究の積み重ねが必要だと思います」(JAMSTEC関連プレスリリース1はこちら)。

2016年の北極航海では、小型のAUV(自律型無人探査機)試作機を用いて海氷の下を自律航走し、水温・塩分などの観測データを取得したり、氷の裏側の形状や、海氷下にプランクトンが活動する映像の撮影に成功した(JAMSTEC関連プレスリリース2はこちら)。JAMSTECでは、海中に一定期間係留する流速計や水温・塩分センサーなどの設置・回収を90年代の終わりから続けており、最近では、植物プランクトン量や酸素、二酸化炭素濃度を計測する生物・化学センサーの係留も始めた(JAMSTEC関連プレスリリース3はこちら)。
渡邉英嗣研究員は、西野主任技術研究員らの観測データを基に、JAMSTECのスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」を用いた高解像度の海洋シミュレーションを担当する。土台となるシステムが2つあり、ひとつは東京大学気候システム研究センター(現・大気海洋研究所)で開発された、海氷融解や海流などの物理過程を扱える海氷海洋結合モデル「COCO」。もう一つは北太平洋海洋科学機構(PICES)の枠組で開発された、栄養塩から動・植物プランクトンまでの食物連鎖を計算できる海洋生態系モデル「NEMURO」である。「物理・化学・生物過程を総合的にシミュレートできる環境が整いつつあり、しかもコンピュータ性能の向上とモデル改良の積み重ねにより、10年前には考えられなかった水平解像度5キロメートルというかなり詳細なスケールで、10キロメートル規模の渦から北極海全域の海洋循環までを同時に表現できるようになりました。それらによって栄養塩やプランクトンが運ばれる過程を調べることもできるし、氷の下にいるアイスアルジーと呼ばれる海氷藻類もシミュレーションを利用して研究することができます」と渡邉研究員は言う。3D空間に時間を加えた4次元のシミュレーションにより、食物連鎖を含めた実際の海の時空間変動の解明に迫ろうという研究開発は進化を遂げている。

西野主任技術研究員と渡邉英嗣研究員が所属するJAMSTECは、2015年から始まった北極域研究推進プロジェクト (ArCS)の副代表機関でもある。このプロジェクトと関連して実施された「みらい」航海の目的地は、太平洋からの海水が流れ込む生物が豊かな海域であると同時に、今まさに海氷減少に伴って海洋環境や生態系が激変している海域だ。「これからも『みらい』などによる観測の成果を気候変動研究に役立てていきたい」と西野主任技術研究員は言う。

(聞き手:池谷瑠絵 特記外の写真:飯島雄二 公開日:2017/02/10)

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