X線CTの能力を最大化する経験とスキルで、
研究を強力にサポートする
個々の大学では整備が困難な最新の研究施設や設備の共同利用、共同研究のために、全国の研究者が集う大学共同利用機関。その一つである国立遺伝学研究所では、さまざまな技術を極めた支援職員が、研究者の探究をサポートしている。X線CT撮影と解析技術を強みとし、一つ一つのサンプルに、一気通貫した「最善の結果」を追究する前野哲輝さんもその一人だ。令和5年度文部科学大臣表彰 研究支援賞も受賞された、前野さんにお話を伺った。
答える人:前野 哲輝 技術専門職員(国立遺伝学研究所)
まえの・あきてる。国立遺伝学研究所技術課 技術専門職員。日本大学農獣医学部にて修士取得。民間企業にて、新薬の薬理試験や毒性試験業務に従事後、公益財団法人がん研究会がん研究所を経て、2001年4月より、国立遺伝学研究所に在籍。令和5年度文部科学大臣表彰 研究支援賞受賞。
X線CTで見えてくる世界
医療における画像診断技術の一つとして、広く知られるX線CT(コンピュータ断層撮影法)は、被検体の360度方向から、放射線の一種であるX線を照射することで、その内部構造を浮き彫りにする技術の一つだ。X線は、骨をはじめとする硬部組織には透過しにくく、臓器や血管などの軟部組織には透過しやすい性質を持つ。CT装置は、このX線の透過率の違いを信号として検知、コンピューター処理して、白黒の濃淡の違いで内部構造を描出する。二次元の画像から、さらに情報処理を行えば、三次元画像も構築することができる。
X線CTは、細かなものを描出することを得意とする一方で、目的とする臓器や組織、血管などの構造物を描き分ける能力には劣るのが一般的だ。ところが、前野さんが作成した画像はどうだろう。マウスやゼブラフィッシュ、アリからアサガオの花びらまで、その臓器や組織、細かな内部構造が見事に描出された画像が、次々と紹介されることに思わず目を見張る。
これら全てが、X線CT画像を元に、解析や処理を加えて作成された画像なのだという。一体どういうことなのだろうか。
軟部組織の細部まで描き出す技術
「私が用いているのは、一般的な工業用のX線CT装置で、特別なものではありません。工業用ですので、生きた生物よりも、ホルマリン固定された標本などを、高解像度でスキャンすることが得意な装置です。原理は医療用と同じで、そのままスキャンを行うと、明瞭に描出されるのは、骨などの硬部組織の構造ばかりです」と前野さん。
臓器や組織を子細に描出するのは、装置の性能に頼ったものではないという。「ある論文で、固定された標本を染色することで、CT解析でも、十分に軟部組織の構造が観察できるという情報を知りました。幸い、試薬も高価なものではなかったので、試してみたのです。使う装置が違えば、結果も変わってくるのではないかと考えていましたが、事前に染色を行う一工夫で、期待以上の成果を得ることができました」
染色とは、化学薬品を用いて、生物の細胞や組織を染め分け、可視化する処理のことだ。多くの場合、標本を薄くスライスし、顕微鏡下で観察する際に用いられる。前野さんは、論文に従って、標本全体を染色液に浸漬するという前処理を行った。染色液が標本に浸透することで、X線の透過率を微妙に変化させ、その結果、臓器や組織の境界が描出できることを知った。これが、大きな手応えになったという。
「大学では解剖学を専攻し、社会人からは病理組織を扱う研究室に所属していたので、サンプルの固定方法や染色方法には、色々なものがあると知っていました。それからは、サンプル採取にはじまり、固定液や染色液と撮影条件の設定など、最適な組み合わせを見つけることに夢中になりました。それは、標本ごとに、また解析によって何が見たいのかによっても違ってくるんです」と前野さん。
一般的な実験動物であるマウスについては、概ね最適な組み合わせが把握できるようになったが、前述のように、前野さんのもとには、さまざまなサンプルが集まってくる。「最近では、決まったプロトコールのないサンプルも増えています。中には、日本で初めて水揚げされた深海生物など、他にサンプルがなく替えの利かないものもやってきます。プレッシャーもありますが、その都度、サンプルの背景などを加味し、検討を重ねて最適な方法を考えています」
X線CT装置の傍にデスクを構える前野さんは、今や、撮影と解析に関わる全ての工程を一人でマルチにこなす。本来見えづらい物を見えやすくする工夫と、試行錯誤の積み重ねによって、マニュアルにはないオーダーにも対応している。しかし意外なことに、X線CTと前野さんとの出会いは、全くの偶然だったという。
教訓の積み重ねが生んだこだわり
「先ほどもお話ししたように、X線CTは、骨などの硬部組織を描出することが得意です。実験用のマウスなら、頭蓋骨の縫合線や、脊椎一つ一つの中の海綿骨の構造まで見ることができます。当初は、この性能を使って、骨の観察を行うために装置が導入されました。骨粗しょう症のモデルマウスの大腿骨を、高解像度で撮影し、骨の病態モデルの評価を行うという目的で、私にその役割が回ってきました」と前野さん。撮影された画像データから、大腿骨を構成する、皮質骨や海綿骨の厚みや体積を割り出し、比較するのが最初の仕事だった。
前野さんは、「得られた画像を、ビジュアルで評価するだけでなく、計測ソフトウェアと組み合わせて、数値化し、定量的に比較を行いました。もちろんすべての操作が初めてで、分かる人も他にいませんでしたから、ソフトウェア会社の人に教わりながら、試行錯誤で進めていきました」と当時を振り返る。あわせて400近いサンプルの撮影と解析を、1年以上の時間をかけて一気にこなしていったという。
しかし、この過程で、一つの落とし穴に気づくことになった。「はじめは、分かったつもりになって、一気に撮影と解析を進めました。データさえ集まれば、何とかなると考えていたのです。しかし、最後に解析結果をグラフに表してみたところ、比較に足るデータが取得できていないことに気づいたのです。その時になって、撮影の仕方はこうしないと駄目なんだ、とか、途中の解析プロセスは、こうしないと数値がずれてしまうんだ、ということに、初めて気づいたわけです」と前野さん。それが大きな教訓になったのだと続ける。
「この失敗もあり、それまで苦労して得た成果は、日の目を見る機会を失いました。サンプルの採取からデータの評価まで、まずは小さいスケールでしっかり検証し、そこからスケールアップしないと、すべてが無駄になるということを、あらためて実感しました。何もアウトプットできないということは、何もやっていないことと同じになるというのが、このときの最大の教訓でした」
骨の撮影と解析に一段落がついた頃、前野さんは、X線CT活用のすそ野をどうにか拡げられないものかと思案した。軟部組織である臓器や組織の構造を観察することができれば、用途も広がるに違いない。この時見つけ出した、固定と染色の手法を、廊下で採取したアリに至るまで、身近に手に入るあらゆるサンプルで試しながら腕を磨いた。所内外の研究者から、さまざまな依頼や相談が舞い込むようになった後も、前野さんがこのとき得た教訓は、仕事の進め方や姿勢に、生かされ続けている。
技術職員として「技」を極めたい
「アウトプットとして、論文に使われるものになるかどうかには、こだわりたいと思っています。論文に求められる画像はどのようなものか、ゴールを設定し、そのために必要なサンプル採取、前処理、撮影のプロセスを逆算し、目標に到達できるように全体を見越して、サポートさせてもらいます。そのためには、研究者と直接お会いして、実際の画像を見ながらディスカッションも行います。研究する人と近い距離で話しながら、一緒にアウトプットを目指す技術支援は、めずらしいスタイルかもしれません」と、前野さんは力強く語る。アウトプットに適さないデータがあれば、問題点を見つけ、次の撮影と解析へフィードバックし、改善を重ねているという。
前野さんは、自身を「データを利用目的に合わせたベストな形で作成し、橋渡しをする技術職員」だと話す。データの持つ情報が埋もれてしまわないように、時には、研究者と一緒に動画を観察し、気になる構造について質問をしたり、アーチファクトの説明を行うなど、データ解釈のサポートも行う。その解釈が上手くいくか否かが、データの運命を決める大きな分岐点になることも多い。
「生き物に研究価値を見出すのは、研究者の仕事です。そうした研究者の皆さんのやりたいことに対して、X線CTで最大限の提案を行うことも私の仕事だと思っています。そしてまた、得られた画像データに意味を持たせてくれるのも研究者の方々です。学術的にどのような意味があるのか見極め、他のデータと合わせることで、その価値を高めてもらいながら、ぜひ、X線CT画像と解析データをうまく利用し、成果に結びつけて欲しいです」
実は前野さん、苦心して作成した解析データを「あ、いいな」と思ってもらう仕掛けにも余念がない。「研究者の皆さんには『観察用動画』を作成して報告するようにしています。一つのサンプルデータに対して、複数の三次元表示をした回転動画や、矢状面、冠状面、横断面の二次元動画などを作ります。それをサンプルと並べて、向きや断面位置を同期させ、一目で比較しやすい動画を作って報告しています。動画をスクリーンショットすれば、すぐに論文に使用することも可能です。希望以上のものをお渡しすることで、ビックリさせたいと考えながら報告しています」と笑顔で話す。
高性能ゆえに、より高額な装置や機器を用いずとも、求められるゴールに近づく工夫を重ね、多くの研究者へ利用の道を開く。肝心なのは、最善の結果を生み出す試行錯誤と、技術に妥協しないこと。「技術職員は、自分にしかできないスキルを身につけた、職人であるべきではないか」それが前野さんの信条だ。
(聞き手:ノンフィクションライター 西岡真由美 写真:飯島雄二 公開日:2024/1/10)