柔軟な発想転換で、
動物の家畜化のしくみを解明する
動物が、異種の動物に対して示す「従順性」は、家畜化のしくみを解き明かすためのキーワードだ。小出准教授は、野生系統のマウスに対する選択交配の手法を用いて、従順性が高まる要因を多角的な視野から追究している。30年にわたり、一貫して追い続けてきた行動と遺伝子の関りとは。小出准教授に、これまでの歩みと未来への展望を伺った。
答える人:小出 剛 准教授(国立遺伝学研究所)
1961年生まれ。大阪大学大学院医学研究科生理学専攻 博士課程修了。学術振興会特別研究員(国立遺伝学研究所所属)、ケンブリッジ大学研究員、国立遺伝学研究所 系統生物研究センター(現マウス開発研究室)助手を経て、2002年より同センター准教授。「行動遺伝学入門 動物とヒトの“こころ”の科学」「個性は遺伝子で決まるのか 行動遺伝学からわかってきたこと」など、著書多数。
リソースを存分に活用、行動と遺伝子の関係を追究する
「マウス開発研究室では、動物の行動と遺伝子の関係をテーマに研究を行っています。主にマウスの行動と、それに関わる遺伝子を調べています。また、行動そのものにどういう意味があるのか、どのような要因が関わっているのかを、俯瞰的に捉えることを目指しています」と話すのは、国立遺伝学研究所 マウス開発研究室を率いる、准教授の小出剛さんだ。30年にわたり、動物の「行動」に着眼した研究を続けてきた。
「私たちの研究室では、9種の野生系統のマウスと、日本産愛玩用マウス由来の1系統を活用することができます。先任の森脇和郎教授が開発した、これらの系統を受け継ぎ、活用した研究が行える点は、最大の強みと言えます」と小出さん。
系統とは、99%以上の遺伝子が一致する、遺伝的に均一な生物集団を指す。実験には、同じ遺伝子を持つマウスが多数必要になることから、系統の保有が必要不可欠なのだ。系統ごとに特徴的な性質や行動と、遺伝子の違いを比較することで、双方の関係に新たな発見が生まれることもある。一方で、兄妹交配を20世代以上続ける必要がある系統の開発と維持は、簡単なことではないと続ける。
「兄妹交配を進めて、数世代から10世代を超えたあたりから、子どもが取れず、途絶えてしまうことがよくあります。系統を樹立した後も、それぞれの特徴を把握しながら飼育管理し、次の世代へつないでいくということは、常に課題となります」
経験的な工夫を要し、苦労も絶えないが、野生系統のマウスが、それぞれに見せる行動の違いが「面白い」と笑顔で話す小出さん。マウスに対する強い愛着が伝わってくる。
マウスの行動を数値化するテスト手法の確立
そんな小出さんが、特に注目するのが動物の「従順性」だ。家畜化のしくみを解明するための鍵でもある従順性が高まる要因や遺伝子との関わりを、これらのマウスを用いて追究している。
「従順性は、異種の動物と相互作用を図る性質で、野生動物にはあまり見られませんが、家畜動物には、その性質を持つものがいます。さらに従順性には、人に対して自ら積極的に接近していく『能動的従順性』と、人が触ろうとした時に、それを嫌がらない『受動的従順性』の2つがありあります。私たちは手始めに、マウスに行動テストを行い、それらを別々に定量できるようにしたいと考えました」と小出さん。
個々のマウスが持つ従順性を、実験データとして扱うためには、それらを共通の条件下で数値化する手法が必要となるが、これも簡単なことではなかった。
「マウスを1匹ずつ箱の中に入れて、人の手を近づけたり触れたりしたときのマウスの反応を、数値化する手法を考えました。実験者は、手袋をはめてテストを行いますが、動物に違和感を与えない手袋の厚みの他、箱の大きさ、マウスと手の距離や手の動かし方など、試行錯誤をくり返して開発したのが『テイムテスト』です」
テイムテストは、動く指に近づこうとする能動的従順性と、触れたときにそれを許容する受動的従順性に加えて、手の上に乗せたときに、どのくらい留まっていられるかの3つのテストを組み合わせたものとなった。それらを1匹あたり、3分以内というスピードで終えていく。常に大多数のマウスをテストする必要があるため、このスピードも重要なのだ。
「テイムテストで、系統間の従順性を比較した後は、『選択交配』を行いました。保有する野生系統のうち、8系統を選んでランダムに交配し、1つの母集団を作ります。各系統に遺伝的な多様性はありませんが、系統を横断する交配を行うことで、膨大な遺伝的多様性が生まれます。従順性についても、高いものから低いものまで多様になります。この中で、特に従順性が高いスコアを示す個体を選んで交配していきます。すると、集団の多様性は維持したまま、従順性に関わる遺伝子群だけが均一化した、高い従順性を示す集団が得られます」
テイムテストによって、実験用系統のマウスは、高い受動的従順性を示す一方で、能動的従順性については、野生系統と有意な違いがないことが明らかとなった。この結果を受け、小出さんらは前例のない、高い能動的従順性を示すマウスの樹立に、選択交配の手法で挑み、成功したのだ。
「能動的従順性」をキーワードに、家畜化のメカニズムをひも解く
現在は、この選択交配を10年以上続けながら、高い能動的従順性を示す集団に特異的な遺伝子や性質を調べているという。これまでに、どのような成果が得られているのだろうか。
「例えば、脳の海馬の中で、どれぐらい遺伝子が発現しているのかということ調べました。選択交配を行った能動的従順性の高い集団では、選択を行わなかった集団と比べ、何十もの遺伝子の発現が変化しています。その中で、能動的従順性に関係する可能性のある遺伝子を調べ、いくつか興味深い遺伝子が見つかっています」
海馬は、記憶や学習に関与すると考えられ、行動学的にも注目される脳領域だ。そこでタンパク質を合成(遺伝子発現)し、特徴的な働きを発揮している遺伝子が、いくつか見出されているのだという。その中で、小出さんが最も関心を寄せるのは、愛情や信頼関係の構築といった社会性に影響するとされる、オキシトシン(ホルモン)に関わる遺伝子の発現だ。
「特に『オキシトシン受容体』の遺伝子発現の変化が興味深いです。マウスの行動をより詳細に調べていくと、能動的従順性の高いマウスは、社会性も同時に高くなるということが分かってきました。従順性は、異種の動物間の作用であるのに対し、社会性は、同種間で集団や共同生活を営む性質を指し、両者は異なる行動にあたります。ですが実験から、能動的従順性と社会性が関わり合っているという結果が明確に出てきたのです。オキシトシン受容体を作る遺伝子は、社会性に関わる重要な遺伝子ですが、それが能動的従順性と、どのくらい、どのように関わっているのかを調べていきたいと考えています」
能動的従順性のみを条件に、選択交配をくり返す中で、唯一同時に変化する行動が、この「社会性」なのだという。これを起点に、従順性につながる要因の一つが解明できるのではないかと、期待が高まっている。今後は、ゲノム編集により、オキシトシン受容体を改変したマウスを開発し、従順性にどのような変化が現れるのかを調べていくという。
小出さんらはまた、行動に重要な働きをしていると報告される、腸内細菌叢についても調べを進めている。腸内細菌叢は、消化管内に密集して存在する細菌のことで、近年その働きが、宿主の性格や行動など、あらゆる性質に影響を及ぼす可能性があると示唆されている。
「選択交配された従順性の高い集団と、それ以外の集団では、2種類の大腸菌に共通した違いがあることを見つけました。その一つ、Limosilactobacillus reuteri(ラクトバチルス・ロイテリ)という乳酸菌の一種は、行動に関係するということで、よく話題に上る細菌です。私たちの研究でも、それが関わりを示しており、本当に従順性に影響しているのかも調べる必要があります」と小出さん。腸内細菌叢の違いと、マウス体内の代謝物の違いを調べた結果、認知機能に影響するとされる、ピルビン酸の血中濃度に違いがあることも明らかになってきた。
難題の解明に必要な発想転換
こうした発見は、全遺伝子の解読とマッピングによる、従来の研究手法では達成できない成果なのだと小出さんは強調する。選択交配で作り出された能動的従順性の高い集団から、共通の性質を探すという、ターゲットを遺伝子に限定しない柔軟な手法が、それを可能にしたのだという。
「従順性をはじめ、さまざまな行動の現れには、それぞれたくさんの遺伝子が関わっており、それらは一般的に『多因子の形質』と呼ばれます。これまで世界中の研究者は、全遺伝子を解読し、マッピングをして調べていくと、行動や性質に関わる遺伝子も突き止められると考えてきました。ところが、それはほぼうまくいかなかったのです」と小出さん。その理由をこのように続ける。
「多因子の形質に関わりのある遺伝子は、3つや4つではなく、少なくとも10以上、多くの場合は、数十から数百にも及ぶと考えられます。しかも、それぞれの遺伝子は、本当に小さな効果しか持っていないということが非常に多いのです」
小出さんも同様に、行動に影響を与える遺伝子の同定を目的に、長年研究を続けてきたが、苦い経験をくり返すばかりだったという。「遺伝子を突き止めることを主な目的とすると、うまくいかないということが分かりました。最終的に、遺伝子の同定に至る可能性はありますが、行動と遺伝子の関係を、もう少し違うアプローチで、俯瞰することはできないかと始めたのが、選択交配のアプローチです」と小出さん。
この発想の転換が、従順性と社会性の関連や、腸内細菌叢との関わりなど、行動につながる新たな要因を浮き彫りにしてきた。そして同時に、これらの要因が、行動として表れるメカニズムや、遺伝子との関わりについては、今後解明すべき新たな課題ともいえる。動物の行動を解き明かす研究は、まだまだ続く難題となりそうだ。
新たなブレイクスルーが必要、次世代に託す夢
「ほ乳類における『多因子の形質』を対象とする研究は、ことごとく失敗に終わってきました。ほとんどが討ち死にといった具合で、僕も駄目でした。その困難さには驚くほどです」と小出さんは、笑いを誘う。それでも、自分の興味から目をそらさないことをモットーに、ぶれることなく、行動を対象に研究を続けてきた結果が、現在の活路につながってきた。
小出さんが動物の行動に関心を抱き続け、研究対象として追い続ける想いの源とは、一体何なのだろうか。
「幼少期からさまざまな動物を身近に飼育してきたこともありますが、直接のきっかけは、この研究室で野生系統のマウスを扱ったことです。実験系統のマウスと比べ、同じマウスかと思うくらい行動が異なり、興味をそそられたのです。さらに、30年しかない研究人生を賭けて取り組むことができるものは何だろう、自分は何をしたいのだろうと考えると、相当悩みました」と語る小出さん。行動研究の集大成として挑む、「動物の家畜化に関わるしくみ」の解明には、さらにブレイクスルーとなる何かが必要になると見立てている。
「研究を通して、さまざまな現象を見ていると、どうやら行動に関わる遺伝的なネットワークは、100個の遺伝子が関わっているような混沌としたものではないような気がします。でもそれがまだ分からない。解明にはまだ何かが必要で、今はまだ何かを間違えているということかもしれません。何かブレイクスルーがあることによって、この研究は、もっと違う次元に進んで行けると思います」と小出さん。次世代に研究をつないでいきたいと語る。
「この21世紀の後半には、行動のメカニズムが、もう少し明らかになるのではないかと思います。それを明らかにできるのは、僕ではなくて、次の世代の人たちです。この従順性の高い動物、社会性が高い動物には、どのような行動のしくみが働いているのか、どんな遺伝子が関わっているのか、次の世代の人たちに、ぜひ取り組んでほしいと思います」
(聞き手:ノンフィクションライター 西岡真由美 写真:飯島雄二 公開日:2023/03/28)