Science Report 035

デジタルな人文、データな社会 05

ウィズコロナ社会の諸課題はどう解決できるだろう?

2020年は、新型コロナウイルス感染症が世界的に猛威をふるう年となった。2021年に入っても、国内の感染者数は、緊急事態宣言の発出とも関連して、上昇と下降を繰り返している状況だ。情報・システム研究機構 統計数理研究所では、長年にわたる感染症を対象とした数理モデリング研究を踏まえ、2020年3月よりCOVID-19に挑むデータサイエンスの取り組みを強化してきた。しかしこのような研究を駆動するのは、データだけではなく「ウィズコロナの時代にまずどういう社会を形成していくべきかという指針やビジョン」なのだと統計数理研究所 椿広計所長は指摘する。そこで今回は、社会科学の分野で長く活躍され、椿所長と協力体制の下、研究プロジェクト「ポストコロナ未来社会と横幹知(横幹連合)」に取り組む学習院大学 遠藤薫教授とともに、学術による解決の道を探る。

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遠藤 薫 教授(学習院大学)

答える人:遠藤 薫 教授(学習院大学)

えんどう・かおる。学習院大学法学部教授。1977年東京大学卒、博士(学術)(東京工業大学)。専門は理論社会学、社会情報学、社会シミュレーション。メディアと社会/文化変容、世論形成、社会変動などの広い関心に基づき、社会科学の視点から特にソーシャルメディアに関わるデータを駆使した研究で知られる。2003年より現職。『ソーシャルメディアと公共性(2018年、編著)』ほか、著書多数。

椿 広計 所長(統計数理研究所)

答える人:椿 広計 所長(統計数理研究所)

つばき・ひろえ。工学博士(東京大学)。独立行政法人統計センター理事長を経て、2019年より現職。自ら「応用統計家」を任じて公的統計、品質管理、医薬品許認可、環境計測、ビジネス科学などの諸領域で科学の文法としての統計的方法の普及啓発とデータサイエンティストの育成に努める。総合研究大学院大学(SOKENDAI)参与。筑波大学名誉教授。


経済か、感染防止か、価値観の分断

遠藤教授によれば、新型コロナウイルスの感染拡大は「グローバリゼーション、気候変動など、既に世界の未来に不安を与えていた諸問題の帰結」でもあるという。その解決に向けて国連はSDGsを提案しており「持続可能な社会にするために今必要とされる社会倫理を検討するには、社会科学の方法論と、ネットワーク理論、制御理論等のデータサイエンスの方法論をつなぐ「横幹知」という視座がたいへん重要」と遠藤教授は言う。

「コロナの感染拡大に関連して、私が特に着目しているのは、価値観の分断と人々の孤立という問題です。中でも目立った価値観の分断は、経済重視か、感染防止の重視かという二者択一の議論です。人間の命を守るため経済活動を一時停止するのはやむを得ないという議論の一方、経済活動が停止すれば人々の生活や仕事が立ち行かなくなり、かえって命が失われたり、社会全体に混乱が生じる、という主張がある──しかし、感染防止と経済活動の維持は、それほど相反するでしょうか?」

各国のGDP前期比とコロナ対応指標(国連SDG'sレポート2020年版)を照らして見ると、経済の状況がある程度うまくいっている国はコロナ対応も優れている、反対にコロナ対応がよくない国は経済も悪化という関係があるようだ。「つまり、私たちは今、感染防止か経済かではなく、感染防止も経済も、ということを考えなくてはならないのです。この目標を達成するには、多くのデータを多面的に分析し、適切な政策決定に生かす必要があります。この点に関して、社会科学と自然科学は、これまで以上に強く連携していく必要があると考えています」。

コロナ禍で自殺者はどう推移したか?

また、コロナの感染拡大に伴い、自殺者数の動向も注目を集めている。コロナ感染拡大の初期から注目していた遠藤教授は「当初はむしろ昨年に比べて自殺者数は少ない傾向」があったと振り返る。「ところが、7月頃から自殺者数は急増」し始めた。「きっかけとして有名人の自殺が続いたこと、またそれが大きく報道されたことなどが指摘されました。いわゆるウェルテル効果と呼ばれるものです。しかし、人が自分の人生を諦めるとき、その背後にはさまざまな要因が潜んでいるでしょう」と遠藤教授は言う。

そうした一人一人の状況と死にたい気持ちになることとの関連を示したのが下の棒グラフだ。自殺者数の推移の背景には、さまざまな要因が影響しており「コロナ禍という短期的な状況だけではなく、もっと長期的、世界的な動向も射程に入れて考える必要がある」と遠藤教授は指摘する。「こうした変動について、世界中の研究者たちが議論を重ねています。国連が、誰一人取り残さない世界を目標とするSDGsを発表したのも、この危機意識があればこそです。しかし、現実には貧困層、若年層、女性など、相対的に弱い立場の人々が社会の中で孤立しがちです。自殺者数の動向にもその傾向が表れています」。

「自殺問題は、それ自体重大な社会問題であるだけではなく、世界全体の諸問題を端的に表現するインデックスの役割を果たしていると考えられます。その解決には、短期、長期、地域、国内、世界、個人、コミュニティ、メディアなど、さまざまなレベルのデータを収集分析し、統合的なモデルを作る必要があります。そのために横幹知、すなわち多様なバックグラウンドを持った研究者たちが互いの強みを生かしつつ、新しいデータサイエンスを駆使しつつコラボレーションすることが不可欠なのです」。

新しい社会科学×データサイエンスの可能性

椿:私たちはふだん、学術というのはおよそ一枚岩だと思ってきたわけですけども、先ほどのお話のように経済学と、疾病を予防しようとする公衆衛生の価値観が対立している。ウィズコロナの時代といわれる今日ほど、文理融合研究のあり方が問われている時期はないと思います。より長期的な展望に立ってコロナが起きた後の将来の社会をどうデザインするか、そのためにデータサイエンスをはじめ学術システム全体がどういうふうに機能しなければいけないかが問われています。

遠藤:経済学の先生方の中にも、経済を単に利益重視と捉えない方たちもたくさんいるし、また社会倫理、理論的な哲学などの分野の方々ともお話をしていく必要があります。そしてたとえば弱い者を切り捨てた場合と切り捨てない場合について、椿先生のご専門のデータサイエンスをベースにモデルをつくって、さまざまな条件でシミュレーションしていく。これによって、科学におけるコミュニケーションをどう行うかについての共通の了解が生まれていくことが重要です。社会学内部でも、たとえば、長い間マクロ社会科学とミクロ社会科学という葛藤がありました。2つの間をつなぐ動的な一般モデルを作れないかという課題に対して、今日ではシミュレーションというツールへの期待が高まっています。しかもシミュレーションは可視化の技術によって、誰にでも比較的納得しやすいかたちで見せることができます。異なる分野の研究者が同じツールを使うことで、分野ごとの言葉の壁をある程度低くし、さらには産学官、また一般の方々ともつながることができるのではないかと期待しています。

椿:その背景には、数理科学においてエージェント・ベース・モデルのような実験のツール(コンピュータ上に自律的に行動する個体やグループを生成し、システム全体への影響を評価するシミュレーション手法)が開発・発達してきたことがありますね。これが社会科学を、これまでの認識科学から、社会をデザインする設計科学という方向に急速に動かしている気がします。

遠藤:ええ、私はその方向に大きな期待を持っています。人間って非合理なことをいっぱいしますよね。個人の動機付け、心理、それから世界観といった自然科学では捨象されてしまうような気持ちの部分、これをモデルの中に入れ込んでいくことによって、新たな発見や、より厚みのある社会の記述というのがシミュレーションで可能になるのではないかというふうに思っています。

ポストコロナの学術の構成とは?

椿:私は人文学や社会学は本来、人間がどんな価値を追求すべきかといった倫理や規範を、まず与える学問だと考えています。検討のための社会実験は簡単にできるものではないので、やはりシミュレーションを用いて、選択すべき価値を検討していくのが妥当だと思います。そこから新しいタイプの人文学や社会科学が生まれてくる。さらにわれわれデータサイエンスや数理、あるいはエンジニアリングの分野の研究者が参集して、ポストコロナの問題解決に寄与していく──社会科学による価値の選択を頂点として、学術全体がシステムとして働くべきだということは、昔からわかってはいたけれども、まさに今こそ、日本の研究力を支援する立場のわれわれ大学共同利用機関が適切な役割を果たして、実現できればと考えています。

現在統計数理研究所は、データサイエンティストの育成、日本で統計数理という学術の何を教えなければいけないかといった教育の課題にも取り組んでいます。今日伺ったことから考えると、シミュレーションとは基本的にどんな考え方なのかという一歩踏み込んだ理解に基づいて、エージェント・ベースのような方法を含めて、自ら社会のためにシミュレーションを設計しようという自発的な研究者に統計数理の知を教えるのも大事な役割だと考えました。研究所内にある統計思考院では、このような役割を意識した研修の場として、2021年度から大学教員の育成事業を始めたいと思います。社会科学の先生方との共同研究において、きちんとコミュニケーションができるような研究者育成ができれば、先ほどからご議論いただいている横幹知につながるのではと考えています。

遠藤:はい。価値観の対立や分断は、どれか1つが正しいというふうには決まりません。では何をよしとするのかを、シミュレーションなどで状況の理解を共有して、みんなで議論することによって、社会としての一つの意思決定ができるかもしれません。しかし現実には、全員が将来にわたって1つの価値観でまとまるとは限らないですよね? そこで議論を積み重ねることによって、暫定的な答えを出しながら社会を動かしていく。そこにはすべての人たち、つまり「誰も取り残さない」みんなの意見が反映されていく──そのような場づくりを私は1つの目標と考えています。その合意形成に、理解の架け橋としてのデータサイエンス、数理科学が本当に重要だと考えています。

そしてまた決定した結果どうなったか、社会はどう変化したのか、常に次のステップで検証し、それによってさらに次の意思決定を重ねていくというプロセスがたいへん重要です。静的な「エビデンス」ではなく、逐次状況を確認しつつ、ダイナミックに変化していけたら素晴らしい!──と考えております。

椿:若手の数理の研究者たちが、共同研究を通じて、本当に必要な数理的構造やシミュレーション・モデルに気付くチャンスになるのではないかという期待もしているんです。やっぱり人文学、社会学は深いなあと……コロナ禍を経験して、ますますその重要性が顕在化したと思うので、ぜひ先生にいろいろご指導いただければと思います。

※本インタビューと対談は、オンラインで行われました。
(聞き手:池谷瑠絵 公開日:2021/03/10)

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