Science Report 008

僕らはゲノムでできている。02

ヒトゲノムの読み取り技術で医療が変わる?

生物をその生物たらしめている塩基配列を、全遺伝情報すなわちゲノムという。現在、このゲノム情報の読み取りと解析に広く使われているのが「次世代シーケンサー」と呼ばれる装置だ。人類最初のヒトゲノム解読では莫大な時間と予算が投じられたが、その後シーケンサーは目覚ましい発達を遂げ、より速く、より正確に、より安くゲノムを読み取り、解析できるようになった。今や膨大な数のヒトゲノムが解読され、データベース等に登録され、そのようなビッグデータを駆使するゲノム科学が、人類の医療、健康、環境、開発、サービスなどに、いよいよ具体的に応用される段階に入っている。シーケンサーが読み取り、解析する情報は、医療をはじめとする応用分野を、これからどのように変えていくのだろうか。
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答える人:鈴木 穣教授(東京大学)

東京大学大学院新領域創成科学研究科 教授。1994年東京大学卒、1999年同大学博士課程修了(学術博士)。1999年理化学研究所ゲノムサイエンスセンター リサーチアソシエイト、2000年東京大学医科学研究所ゲノム構造解析分野 助手を経て、2004年現所属 准教授。恩師である菅野純夫東京大学教授とともに25年以上にわたりトランスクリプトームに注目した研究を展開。ヒトゲノムの変異がどのようにがん、免疫、神経疾患等の表現型を示すのか、システムレベルでの解明に取り組む。研究室ホームページはこちら


先端医療を病院だけでなくジャングルでも。

次世代シーケンサーは、米国企業などが世界的に市場を寡占していることから、ゲノム科学の基盤技術を担うだけでなく、「結果の承認、追実験といった実際的な手順を画一化する効果を生んでいる」と東京大学の鈴木穣教授は言う。「よい面も悪い面もある。次のステップをどう展開するかが重要です」。そのひとつとして鈴木教授が取り組むのが、特に発展途上国における現地=オンサイトでのゲノム診断だ。コンパクトなシーケンサーを用いて、高熱を発症した患者の血液をその場で採取し、高速でゲノム解析する。マラリア、デング熱等が見つかれば、その場で治療につなげることができるほか、ゲノム診断では、同じ病源でも薬に効果がある/ないタイプの判別や、予想外の感染源でも発見できるといった優位点がある。そこで熱帯の屋外のような医療・衛生設備のない場所でも迅速に結果が出せるポータブルな装置を実現しようと、一連の技術開発を行っているという。「自宅で糞便などから個人のゲノムを採取して健康診断したり、野外調査で新しい生物種を判定したり、ウナギなど食品の産地偽装から髪の毛で個人を特定する犯罪捜査まで、応用範囲は意外にも広い」と鈴木教授。特に空港など「水際」における検疫チェックは、ゲノム診断が大いに役立つ可能性があるそうだ。

ポータブルゲノム診断のデモ機はまさに「手のひらサイズ」。鈴木教授が手にしている基盤を専用の読み取り機にセットすれば、パソコンで読み取ることができる。

ゲノム固有の突然変異を識別して、がんと闘う

読み取ることから一歩進んで、ゲノム情報を入力、そこから形成されるものを出力として、その間にあるコード化/解読のシステムを解明し、予測や制御を行おうという研究にも期待がかかる。DNA上の遺伝情報は1個体1種類だが、DNAからタンパク質合成情報を読み取った「mRNA」階層の遺伝情報は体内の組織ごとに、また外部からの影響に呼応して同一個体内でも遺伝情報が異なる。長年にわたり、このmRNA階層の遺伝情報(トランスクリプトーム)を研究してきた鈴木教授は、がんに注目する。「がんは、突然変異によってトランスクリプトームを変化させる疾病なんですね。ゲノムに変異が起こったら、遺伝子発現にどう影響するか、それを正常に近づけようとする薬剤に対してどういう変異が起こるか等を調べることができます」。もちろん、実際の治療に役立てたいという思いは、大きな動機だ。「がんは患者によって、言い換えればゲノムによって、原因や経過が非常に多様で、例えば肺がんだけでも世界に500とも1,000とも言われる種類があります。ある人に効いた薬が、別の人に効くかどうかは、なかなか言えない。まさに1人1人にストーリーがあり、そのような個別の突然変異に最適な治療が行えるとよいわけです」。

細胞ひとつひとつを選り分けて読み取る、シングルセル分離解析機。

方法を工夫して創薬をスピードアップ

そのような治療を実現するためにも、さまざまな工夫が必要だ。鈴木研究室では、ラボでの実験とともにコンピューター・シミュレーションによって実測と予測を掛け合わせる手法の開発も手がける。また、特にがん治療で問題となるのが、仮に99%のがん細胞を殺すことができても、残りのたった1%の抗がん剤耐性細胞こそが、再発を引き起こすという点だ。「その1%はどれなのか、ターゲットとなる細胞を高精度に検出し、ゲノムを読み出し、さらにその結果をシミュレーションなどに反映していかなければならない」。一方、近年、患者の持つ免疫力を活性化させてがんを攻撃する新しい治療薬「免疫チェックポイント阻害剤」が注目を集めているが、この薬の評価でも「どの免疫細胞が有効なのか、細胞一個一個について見ていく必要がある」と鈴木教授は言う。

鈴木教授が手にしているのは、シングルセル分離解析機用のトレイ。トレイは微細な区画に仕切られており、機械にかけるとその1つ1つに各細胞が分離され、遺伝子情報を読み取ることができる。

シングルセル技術と次世代シーケンサーを駆使して

1つ1つの細胞を分離・分析する技術をシングルセル技術という。次世代シーケンサーの試料の前処理のひとつとして、一般に、対象となる組織をすりつぶしてから機械にかけるが、がんの場合、解析したいのは細胞の「かたまり」ではない。「シングルセル技術で細胞1個1個を取り出し、次世代シーケンサーで読み出しと解析を行う研究開発を、現在大腸がんを対象に、がん研究所細胞生物部の八尾良司部長と共同で研究を進めています。これは、科研費の研究者をゲノム解析で支援する「先進ゲノム支援」で行っているもので、大腸がんがどのような細胞組成を持ち、中でもがんの根源にあたるような細胞がどう発現し、突然変異を示すのかが追って明らかになるはずです」。

次世代シーケンサーを操作する様子。研究員左手の下にある黒い部分の中に試料をセットし、画面操作で読み取りを開始する。

大学共同利用機関を中心にゲノム解析を支援「先進ゲノム支援」

文部科学省科学研究費助成事業の新学術領域研究『学術研究支援基盤形成』先進ゲノム解析研究推進プラットフォーム「先進ゲノム支援」は、「科研費」に採択された研究を対象に、最先端のゲノム解析及び情報解析技術を提供する研究事業である。大学共同利用機関である国立遺伝学研究所(静岡県三島市)を中核機関として、多くの大学・研究機関が参加し、ネットワークを形成しており、旧事業の「ゲノム支援」以来、分野横断的な研究成果を挙げている点にも特色がある。支援活動を通じて、生命科学の最先端研究の推進、そしてゲノム解析の高度化や解析技術の発展に取り組んでいる。

先進ゲノム支援ホームページ

(聞き手:池谷瑠絵 特記外の写真:飯島雄二 公開日:2017/07/10)

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