微生物のゲノムから何がわかる?
答える人:黒川 顕教授(国立遺伝学研究所)
国立遺伝学研究所教授、先端ゲノミクス推進センター センター長。2014年より新学術領域「冥王代生命学の創成」領域代表者。東北大学卒、大阪大学大学院後期博士課程修了。奈良先端科学技術大学院大学准教授、東京工業大学教授などを経て、2016年より現職。2004年、日本で初めての本格的なメタゲノム解析に着手し、日本人13人の腸内細菌群のメタゲノム解析結果を公開。このメタゲノム解析手法を、土壌や温泉水など他の環境に応用した、微生物集団の変化の過程を探る研究などで知られる。ちなみに修士課程までは地質学・プレートテクトニクスが専門。略歴はこちら。
そもそもゲノムって何だろう?
ゲノムとは、DNA(デオキシリボ核酸)でできた物質である。なかでもAGCT(アデニン、グアニン、シトシン、チミン)の4つの塩基は、生物それぞれに固有の配列を持つ。ちなみにヒトゲノムは約30億塩基、これまでに見つかった一番小さいゲノムはカルソネラ・ルディアイという寄生性の微生物で15万9662塩基、こちらは文字数にしておよそ朝刊1部ぐらいに相当するそうだ。一方でゲノムとは、生物の全遺伝情報を指す。AGCTの塩基配列の3つの塩基の組み合わせは「コドン」あるいは「遺伝暗号」等と呼ばれ、20種類のアミノ酸のいずれかに対応している。遺伝暗号はDNAからmRNAへ「転写」され、続いてmRNAが「翻訳」されてタンパク質が合成される。このDNAからタンパク質合成までの一連の流れは、全生物に共通の原理となっている。「ゲノムは物質とデータの橋渡し役」と国立遺伝学研究所の黒川顕教授は言う。
微生物は裏切らない生物である
ゲノムのおもしろいところは、小さな微生物から人類まで、客観的なデータで全生物の遺伝情報を決定できることだ。しかも「ATGCというたった4つの化学物質の並び方に、さまざまな意味が畳み込まれている」。つまりメタゲノム解析は、その解析結果を多次元的に読み解き、あるいは他のデータと連携することで、さまざまな情報が引き出せるデータの宝庫なのだ。例えば、黒川教授が挑戦してきた微生物群のひとつに腸内微生物がある。「昨日と今日とで、私たちのおなかの様子は違いますよね。でも腸内微生物たちの全ゲノム情報を調べれば、体温を測り忘れても、腸内の温度を推定することができます。pH(水素イオン指数)や湿度などの衛生データも推定できるかもしれません。さらに時系列に沿ってデータをとることで、環境にどのような変化が起きたかも分かります」。しかし病院で1日がかりで検査してきたようなデータが、なぜ微生物から得られるのだろうか?「それは、微生物群集は環境に対して一意に決まる、言わば裏切らない生物だからです。その生物に聞けば、人為の及ばない、客観的な観察データが得られます」。また土壌を調べるのにも微生物が貢献する。「奥多摩湖から羽田空港まで、多摩川138キロの河川水の微生物群集を調べました。するとこのデータからは、奥多摩湖から東京湾に至るまでの多摩川流域の環境の変化を読み取ることができました。このデータに、たとえば人口分布や犯罪率といった流域周辺の社会環境のデータを組み合わせることで、今度は地域環境を評価することができるようになると期待しています。われわれは微生物の群集構造を見るだけで、周辺環境が推定できる技術を作り上げています」。実に、微生物メタゲノムの多層的な性質そのものが、さまざまな他分野や異業種との連携を可能にしているのである。「メタゲノムの本質は、たぶんそこなんです」と黒川教授は言う。
僕らの細胞も微生物と共存している
このようなデータ連携の基盤となるのが、微生物の種類や数と環境をひも付けるデータベースだ。現在、世界で約120万サンプルの情報が公開されており、黒川教授の研究室では、これを集めて微生物環境を俯瞰できる「微生物GPS」を構築しているという。「僕らは地球上の微生物の全てのカタログを持っているので、これを使えば、微生物がこういう群集ならどういう環境であるかが、だいぶ見えてきます」。さらに解析の処理能力次第では、環境全体にあるゲノムを洗いざらい決めていく「ホロゲノム」も強力な手法だという。「僕らヒトの細胞も微生物もゲノムでできており、共存し合って生きている。そこでヒトゲノム、微生物一匹一匹のゲノム、環境データとしてのメタゲノムの全部を調べ、全体を1つのシステムとして捉えて、ゲノムレベルで解いていこうという試みも始まりつつあります」。
地球環境を理解して生命の起源に迫る
生命現象を考えるには、その環境を知らなければならない──黒川教授はこの考えを発展させ、46億年前から40億年前にあたる「冥王代」の地球環境を推定し、生命の起源に迫る研究にも取り組んでいる。「なぜ生命科学者が生命の起源を考えられないかといったら、当時どんな地球環境であったかを知らないからです」そこで地質学者、地球化学者、生命科学者、惑星科学者を集め、議論を進めていったところ、「当時の海はpHゼロの強酸で、岩石等が全部溶け込んだドロドロの溶鉱炉のような、たとえ生命が誕生したとしても持続的には生きられない過酷な環境であり、生命を育む母なる海、といった生易しいものではなかった」ことがわかってきた。原始大陸上の間欠泉のような場所で、強い放射能を受けて猛烈なスピードで化学反応が進展し、生命を形作るさまざまな物質が造り出され、やがて生命になった──そんな過程が「科学的な証拠付きで見えてきました」。それでもまだ、わからないところがある。「なぜゲノムが遺伝暗号という情報を担うようになったのか。それは依然として、謎です」と黒川教授は言う。
ゲノム解析の学術連携を推進「先端ゲノミクス推進センター」
先端ゲノミクス推進センターは、次世代型シーケンシングが生み出す大量のゲノムデータの最先端の研究基盤を大学・研究者コミュニティに提供し、他のゲノム研究機関との共同利用・共同研究を進めているセンターだ。日本に19ある大学共同利用機関のひとつ、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)内に2011年10月に設立された。設立以来、他の研究機関と連携した共同研究により、先端的ゲノム科学の研究の成果を挙げている他、大学等からの大規模シーケンシングや情報解析の要請にも随時応える。
(聞き手:池谷瑠絵 特記外の写真:飯島雄二 公開日:2017/06/12 修正日:2019/02/04)