Science Report 045

魚のDNAから知る5億年前の私たちの祖先

1980年代以降のPCRやDNAシークエンスといった分析手法の発展により、生物が持つ遺伝情報の解読が急速に進められてきた。しかし、遺伝情報の集積は、ヒトや実験動物に大きく偏っており、多様な生物の進化の過程をあらわす「進化系統樹」には、いまだ空白地帯が多い。生命の歴史を解き明かす研究は、現在どのように、どこまで進められているのだろうか。ラボ実験とデータ解析、実験動物と野外生物を織り交ぜた、独自の生命科学研究を行う、国立遺伝学研究所 工樂樹洋教授の講演「魚のDNAから知る5億年前の私たちの祖先」(遺伝学講座・みしま/2023年1月28日)を紹介する。

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工樂 樹洋 教授(国立遺伝学研究所)

答える人:工樂 樹洋 教授(国立遺伝学研究所)

くらく・しげひろ。国立遺伝学研究所 分子生命史研究室 教授。2005年、京都大学にて博士号(理学)取得。2007年より約5年間、ドイツ南部コンスタンツ大学の教員を務め帰国、理化学研究所神戸キャンパスにて、DNA情報解析と分子進化学のアプローチを動物の発生学・生理学に活用する研究を有機的に進めてきた。2021年4月より現職。


祖先を知る手がかり、大型魚類を対象に

「私は、DNAに基づく進化の研究に取り組んでいます。研究では主に、今生きている生物のDNAの情報を取り出し、それを比べて過去から現在までの変遷を推定しています」と話すのは、国立遺伝学研究所分子生命史研究室で教授を務める工樂樹洋さんだ。研究を通し、「まずは脊椎動物の祖先を突き止めること、そしてDNAの情報が、どのように現代のヒトへ至るまでの多様な生物の姿や暮らし方を映しているのかを解明すること」が、究極のモチベーションになっているという。

そのために、工樂さんが現在、研究対象としているのが「魚」だ。進化上の系統学的観点からは、実はひとまとめにすることに語弊が大いにあるという「魚」。その中でも特に、サメやエイといった、軟骨魚類のDNA情報の解析に力を入れているという。

「魚と陸上の脊椎動物(哺乳類・爬虫類・鳥類・両生類)は、分けて考えられることが多いですが、系統樹を遡っていくと、脊椎動物の共通の祖先は水の中で暮らす生物であり、私たちが広く魚と呼んでいるものです。陸に上がった生物は、いわばちょっと変わった魚であり、『陸に上がった魚』とも言うことができます。一方、サメやエイの多くは大型で扱いにくいために実験動物として定着しておらず、なぜ研究対象に選んだのか問われることもありますが、脊椎動物の祖先を探るためには、調べずにはいられない存在なのです」と工樂さん。「ここ5年くらいで、サメのグループをはじめ肺魚など、長らく欠けていた遺伝情報が揃い、やっと偏りの少ない比較を行うことができるようになりました」と続ける。

DNAの情報を解析し、進化系統樹を作成していくと、それぞれの種の関係が分かるだけでなく、変化が遅い種はどれか、速い種はどれか、といったことも分かってくる。

「専門的な手法で推定した系統樹では、それぞれの枝の長さが進化の速度を表しています。簡単に言ってしまうと、枝が長いほど、祖先からDNAの配列がより変化しており、進化速度が速いということになります。対して、枝が短いと、進化速度が遅いと考えられるわけです。その姿から「生きた化石」と言われてきた生物がいますが、そういう分子進化速度が遅い生物と対応しているのか、という興味が沸いてきます。DNA情報にはこういった生物進化のログが含まれています」と工樂さん。

また、研究対象になることの少ない、これら魚類の生態を調べ、ヒトなどと比較することにより、DNAが持つ情報を精査していくことで、さまざまな興味深い発見が得られ始めているという。

工樂さんは、「水族館からジンベエザメの血液を分けてもらい、血液細胞の培養を行いました。そこから、世界でも初めてとなるジンベエザメの染色体数を調べることに成功しました。地味な発見かもしれませんが、こういった研究が実現したのは、学術志向の強い水族館の存在が目立つ日本ならではです。染色体数が分からないと、ゲノムDNAの配列の読み取り結果を照合し、完了した、ということができないわけです。ジンベエザメは現存の近縁な種がいないことも特徴で、5000万年くらいの進化の歴史の中で、この一種しか存在しないことが分かっています。大きな生物であるにも関わらず、大海のどこで産まれているのかも含め、情報がほとんどないことも面白いところです」と、サメを対象とした研究のやりがいや面白さを語る。

「ジンベエザメは、カリブ海や紅海などの海域で、水面近くに集まり、捕食する様子が観察されていますが、一方で、かなり深くまで潜水するということも知られています。私たちの研究室では、視細胞で働くオプシンという光受容タンパク分子の機能解析を通し、ジンベエザメが、深海で光に頼って暮らしていることを示す根拠も発見しました。

ホルモンを作る遺伝子群の「共通性」に着目する

工樂さんらは、DNAが持つ情報を元に、軟骨魚類を含めた多様な脊椎動物種の比較を行い、大量に得られているDNA情報から、生物進化のプロセスを解き明かす作業を続けている。

「特定の現象の進化プロセスに注目する際には、DNAの持つ全ての情報を比較するのではなく、その現象に関係することが実験動物などで分かっている、特定の遺伝子群に着目します。生理機能の変遷を映すものなら、例えば、成長ホルモンを作る遺伝子です。この遺伝子については、進化の過程で増えた兄弟のような遺伝子(重複遺伝子)があり、どの生物種が、いくつの遺伝子を持っているかを調べます。保有する遺伝子の組み合わせを比較していくと、祖先は成長ホルモンを含む遺伝子のセットとして、脊椎動物の祖先の時点で4つの遺伝子を持っていたことが分かってきました。それら4つのうち異なる組み合わせの遺伝子を失って、生物種間が保持する遺伝子の顔ぶれに違いが生じたのです」と工樂さん。

ヒトとヤツメウナギが共有に保持している成長ホルモンは、それらの生物種の共通祖先の時点では存在したはず、と類推される。このようにして、分子系統樹に基づき、現存の生物種の情報から、過去の祖先が保持していた遺伝子のセットを推測することができる。

工樂さんらはさらに、ホルモンの中でも、比較的新しく発見された「レプチン」についても、同様に調べを進めた。ホルモンの多くは、脳や脳からの指令を受け取った、分泌腺や内分泌器官で産生され、各臓器や器官に作用するのに対し、レプチンは、脂肪細胞で生産され、脳が受け取るという特徴を持つ。哺乳類では通称、満腹ホルモンと呼ばれ、この遺伝子がなくなったり、働かなくなると、肥満になることで知られている。

「こうした興味深いホルモンの起源を、動物の進化のどの時点までさかのぼることができるのか、これを調べる上でカギを握るのが、軟骨魚類でした。哺乳類において、レプチンには、成長ホルモンのように、複数の遺伝子タイプは哺乳類では見つかっていません。辿っていくと、鳥類・爬虫類や両生類には対応する遺伝子が見つかりますし、メダカなどの硬骨魚にも存在します。それより古くに分岐した生物での情報があいまいだったのですが、私たちの研究によって、サメやエイでも哺乳類と同じくレプチンに対応する遺伝子が存在することがわかりました。ここから分かってくることは、およそ4億5千万年前にさかのぼるヒトとサメの共通の祖先の段階で、レプチンのもとになる遺伝子がすでに存在したということです」と工樂さん。サメを含め哺乳類以外の生物の多くにおいて、レプチンがどこで、どのように作用するのかはまだ分かっていないが、生理学・内分泌学の研究者との連携を活かして、知見を集め、解明していきたいと語る。

工樂さんらは、上記の他にも、生物の体内で産生され、作用する複数のホルモンの遺伝子情報も子細に分析し、比較を進めた。各生物のもつホルモンの遺伝子セットが、解析結果としてモザイク状に示されている。

「さまざまなホルモンの遺伝子が、どういった生物で共通に保持されているかをたどっていくと、その多くについて、脊椎動物の進化の初期まで遡ることができました。その結果、脊椎動物の進化のかなり古い時期で、すでに現在ある多様なホルモンの大部分の遺伝子が出揃っていたということも分かってきました。魚を対象として研究しているわけですが、それは結局、私たちの祖先の研究であり、そういった知見は、脊椎動物全体の理解につながっていきます」

また、こうしたDNAの情報に基づく生物間の比較と、共通性の発見を通して、工樂さんはこのような実感を語る。

「ヒトとその他の生物は、よく分けて話されますが、こうしたDNAの配列をつぶさに見ていると、何らヒトが特別なものではないということを、まじまじと感じます。これは、どの生物も同じ土俵に並べて考えるべきということ、言い換えると、何者も置き去りにしないという、SDGsなど世界規模の基本的なマインドの生物多様性版というところでしょうか。もともと、こういった視点でDNA情報を見始めたのは20年以上前のこと。やっと多様な生物のDNA情報が揃いはじめ、縦横無尽に解析を行うことができるようになったわけです」

国境や学問の境界を越えて科学する楽しみ

珍しい対象を用いた工樂さんの研究だが、実は誰でも簡単にアクセスできる、オープンデータベースを用いて進められることも多いという。こうしたツールをどのように使いこなすのか、研究に向き合う姿勢にも、こだわりがあると語る工樂さん。その想いとは、どのようなものだろうか。

「私のやっている研究の主軸は、実務の進め方としては非常にシンプルです。誰でもアクセスすることができ、生物のDNAの情報が入手できるさまざまなデータベースがあります。私たちのような研究には、実験室でうまく実験ができるということ以外に、欲しい情報の所在を把握し、コンピューターをうまく使いこなすということも、非常に重要なのです。その組み合わせで、生物の問いにどれだけ迫れるか、これに挑んでいます」と工樂さん。また次のように続ける。

「DNA解読のための装置や技術の多くは海外から入ってきますので、海外からの情報をどのようにうまく取り入れるかが、研究の展開を左右します。そういった情報をどのように先取するのかということにも、こだわりを持っています。研究の成果として、オリジナルのデータを公開すると、色んな問いを持った研究者との関わりが生まれ、連携ができるようになります。国境を越えても、自然科学の研究は通じ合えることが多く、自分の成果が世界の端にも届き得る。こうしたところも、研究の醍醐味であり喜びの一つです」

(編集:本部広報室 写真:国立遺伝学研究所・公益財団法人 遺伝学普及会 公開日:2023/03/31)

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