「建築」という視点で細胞を解明する。

統数研が中心となって進めている、リサーチコモンズ「データ同化・シミュレーション支援技術」に参加する、木村暁准教授(国立遺伝学研究所)。「数理に強いというわけじゃない」という”ラボ育ち”。大学院生時代に、いち早くヒストン修飾の研究を手がけながら、一方で「折りたたまれた染色体の”ここからここまで”をどう区別するのか? 本当にこれでいいのか?」と、歯がゆい思いも持っていたといいます。「計算できれば正しいかどうかがわかる。間違っていれば次の発見にもつながる」。そういう研究ができる場をと選んだ現在の環境で「データ中心科学」を推進し、今、その手法を他の研究室へも展開しています。最も得意とするモデル動物は、写真の線虫です。

なぜ細胞生物学が統計数理とつながるのか?

われわれは細胞の研究をしています。細胞は生命の最小単位であり、生きているものとそうでないものの境目とも考えることができる。生き物の中で一番単純で、しかもいろいろ動きのある様子を研究したいというのが、私の生物学的な関心です。では細胞をどう理解するのか? もし自らの手で作ることができれば大きな理解につながるとは思うのですが、作れないので、せめてコンピュータ上で「シミュレーション」として作ろう、という研究をしてきました。細胞の中で核などの細胞内小器官が動いている様子を解析して、そのようなダイナミックな動きを実現するには、そこにどのような物理的な力が働いているのか、建築家が構造計算をするように調べてみよう。シミュレーションモデルをつくるためには、まず顕微鏡撮影をするのですが、そこから三次元的な位置情報、時間的推移といった膨大な量のデータが出てきます。するとコンピュータサイエンスや情報科学の問題にもつながってきて、データからモデルを探っていく「データ中心科学」の方法論に行きつきます。今話題のビッグデータが、細胞生物学の世界でも非常に大事になってきているんですね。

昔ながらの解釈を復活させる「細胞建築学」

今から約100年前に顕微鏡が発明されて以来、細胞生物学の分野では細胞を押したり、つぶしたりして、スケッチを描きながら丹念に観察するという時代が続きました。しかし約50年前にいわゆる分子生物学が勃興して、研究者がみんなそっちへ行ってしまった。でも、とり取り残された分子生物学以前の研究が、今や僕には新鮮というか、もし当時の科学者たちが今のツールを使ったら、たぶんもっとおもしろいことをしているんじゃないかと思うんです(笑)。より小さなスケールで見ていこうという方向性ではなく、少し大きな塊で見たり、解釈によってちょっと単純化したりすることがすごく大事なのではないか。そこで僕はスピリットはなるべく昔の人のまま、新しいツールを駆使して挑みたい、これを「細胞建築学」と呼んでいます。しかし、このような中間的な視点の研究はまだ確立されていないため、これが正解という道はありません。登山計画みたいに、どんな道を行くのかという戦略を立て、コースのデザインを十分吟味することで、自分にしかできない研究を目指しています。

データ同化で「細胞質流動」を解剖する

「データ同化・シミュレーション支援技術」プロジェクトでの最近の成果のひとつが、線虫を使った細胞質流動の研究です。細胞が分裂する際、通常は2つとも同じ細胞ができるのですが、稀に性質の異なる細胞がつくられることがあります。線虫のような動物においては、このような分裂の際、細胞質の中で流動が起き、中心に近い部分にある物質がある方向にびゅっと押し出されるような動きが起こります。ではこの動きは、どこに、どれだけの力をかければ再現できるのでしょうか? 力を直接、正確に測ることはできないので、力を未知の値として取り扱い、まず細胞内の流れをシミュレーションで再現します。一方、顕微鏡で撮った画像から流動の速度を算出し、シミュレーション結果とつきあわせて、両者が一致するまで力の値を修正します。このような「データ同化」の手法により、画面の1ピクセル=0.1マイクロメートルぐらいのスケールで、生き生きとした細胞内の動きを対象としながら、定量的な確かな土俵に立つことで、細胞質流動という現象をいっそう具体的に解明することができました。

そもそもデータ同化とは?

獲得した手法を他大学の遺伝子研究に応用する

このようなリサーチコモンズでの成果を基に、他の生物系の研究室と連携して、データ同化の手法を適用する、いわば布教活動のようなものにも取り組んでいます。たとえばある遺伝子の役割を知るためには、該当する遺伝子を除いた細胞を作製して、正常な細胞との差を調べるという方法が一般的ですが、この作業は結局、「どこが違うか」を人間がまず見込みを立てるところからスタートしています。でもわれわれが推定するのではなく、まずデータがあって、コンピュータがその現象に内在するメカニズムやパラメータを探る──余計なおせっかいかもしれないけど、データ中心科学で遺伝子研究のやり方を変えるような共同研究を、少しずつ増やしています。実際、きちんとしたデータさえ集まれば、比較的短期間でできる醍醐味もあり、いろんな生物種に幅広く挑戦できる利点もあります。共同研究によって、統計的にも正しくて、実験的にもできるラインを探し出す……そういった研究の進め方も併せて、他の分野の研究者に伝えて行ければいいなと思っています。

「細胞は、環境に応じてある量以上には増えなかったり、”空気を読む”的な部分もあったりして、”足るを知る”ように見えます。線虫はこんなふうに生きている──といった理解から、生物学者は、生物の本質を指摘するような役割を担うべきだと考えています。たとえばたくさん分子が集まれば細胞ができるというわけではない……と僕はずっと思っているのですが、今でも答えられない。ただ、心の琴線に触れた疑問は持ち続けて、少しでもヒントらしきものを発見できればと思っています。」

(文:木村 暁・池谷瑠絵 写真:水谷充 公開日:2014/08/11)